【悲報】アメリカ社会が壊れ始めている、フラストレーションが鬱積している社会【2020年初夏】
人種の坩堝が人種のドツボになっている状態がアメリカ社会です。そうなるとニューヨークのような世界中の人、高い教育を受けた人から、何の教育も受けていないような人まで一緒に住んでいる社会だと、どうしても社会を動かしていく上での平均値を下げざるを得ない。それが嫌な金持ち連中はロックダウン前にニューヨークの外へ逃亡しているわけです。
非常事態宣言が外された日本社会。世界から、アメリカから、どうしてという感じで不思議がられています。まだ自分の国ではやっとコロナウイルス感染拡大のピークが落ち着いてきたというのに日本では、東アジアでは社会が動き始めている。経済的にも社会が停止している状況なのでフラストレーションは溜まっていきます。
私は普段、KPop番組とかをユーチューブで見るんですけど、韓国なんて私がいるニューヨークでロックダウンがかかり、これからどうなるんだろう、と不安で潰されそうというときに、スタジオ収録とかしてましたから、ビックリしました。スタッフもマスクをつけるだけで番組での観客とかはいないようでしたけど、普通に番組制作しています。
日本でもこれから少しずつですけど社会活動再開となると否が応でもその様子が目に入ってくるわけです。となると、アメリカ社会とかでもいい加減にしろという雰囲気が充満するわけでしてもう社会が暴走してしまう寸前のところにきています。情報が不確かなまま、不安要素ばかりだから無性に消耗してしまうんです。
暴動でストレス発散
ミネアポリスで起こっている暴動ですけど、一気に全米へと拡散しました。ジョージア州、ミネソタ州で黒人への偏見から起こる過剰な防衛本能によって黒人が殺されてしまいます、それも白人によって。敵がコロナウイルスという目に見えない状況でフラストレーションが溜まっていたわけです。そうすると強者側の人間はわかりやすい標的を選ぶようです。
自宅待機が長引いてきたアメリカ社会、日々暖かくなり始め、メモリアルディーを過ぎるとオフィシャルに夏が始まります。もう、耐えられない、と。 即ち、普段から憎しみ、不信感を抱いている相手へと標的を定めます。何かの機会があったら潰してやろうという精神回路が出来上がり、後はひたすらその機会が訪れるのを待つだけ。
ここへきて医療専門家の人々の意見もトーンダウンしているように感じるのは私だけでしょうか。感染拡大を引き起こす危険があると言っても実際に亡くなっている方の特徴を観察していいくと高齢者で男性、肥満、基礎疾患があるということがみえてきます。若い人、多くの人は感染しても死には至らない、となると経済を優先させようとなります。
ニューヨークではまだまだ慎重にことが進んでいますけど、どこまで我慢させるのか。失業保険手当が一般の人にもやっと普通に行き渡るようになっているのでそこまでフラストレーションを感じることなく過ごせているようです。でも社会の上から押し付けられる意見とか規制にうんざりしているんです、多くのアメリカ人は。
コロナウイルス感染拡大防止のために強制的にロックダウンをさせられ、人々に恐怖ばかりを煽り、ひたすら経済を犠牲にして自宅待機させてきた。でも冷静に考えてみると今までの社会体制のあり方、その社会に住んでいる人々の行動責任がロックダウンという悲劇を長引かせていると思うのです。
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不衛生社会、アメリカ
日本に比べるとアメリカなんて汚いですから。私が住んでいるニューヨーク、ハーレムなんてゴミだらけです。地下鉄のプラットフォームなんてネズミは普通に徘徊しているし、街中でもホームレスや薬漬けのジャンキーなどが路上で寝転んでいます。ポリスも数人単位で様子を伺っていますけど、何も起こらなければ傍観状態。
このようなゴミだらけの不衛生な社会を形成してきたアメリカ社会にもある程度、今回の状況を長引かせている要因があると思います。人々の生活習慣が日本とは違うと言われてしまえばそれまでですけど、不衛生というのはもうどうしようもないわけです。自分だけが気をつけていても人種の坩堝、アメリカでは相手に期待すると疲れるだけです。
日本社会のように世間体が機能している社会には暗黙の了解があります。マスクするのは当たり前、ゴミをポイ捨てしない、綺麗な生活空間を保つ、とか普通じゃないですか、社会的にそれを強制してくるプレッシャーもないし。でもアメリカ社会、特に大都市では世界中から人がやってくるわけで共通ルールを高いレベルで保つことには無理があるわけです。
だから地下鉄乗るにもやっと日本のようにアプリで改札を抜けられるような仕組みを導入するまでに随分と時間がかかりました。平均値以下の人に日本では当たり前のデフォルトを社会の中に組み込んでしまうとその人たちは困ってしまうし適応できないからです。何も移民だけではなく、貧困家庭で教育が施されていない低階層の人たちもです。
人種の坩堝が人種のドツボになっている状態がアメリカ社会です。そうなるとニューヨークのような世界中の人、高い教育を受けた人から、何の教育も受けていないような人まで一緒に住んでいる社会だと、どうしても社会を動かしていく上での平均値を下げざるを得ない。それが嫌な金持ち連中はロックダウン前にニューヨークの外へ逃亡しているわけです。
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日本社会のように世間体が機能している社会には暗黙の了解があります。マスクするのは当たり前、ゴミをポイ捨てしない、綺麗な生活空間を保つ、とか普通じゃないですか、社会的にそれを強制してくるプレッシャーもないし。でもアメリカ社会、特に大都市では世界中から人がやってくるわけで共通ルールを高いレベルで保つことには無理があるわけです。
それでも日常は戻ってくる
今回のコロナウイルス危機、まだ完全に収束したわけではありません。でも大人の事情で社会を動かさざるを得ない。「重症急性呼吸器症候群(SARS)」も「中東呼吸器症候群(MERS)」もワクチンができていない状態で、社会は動き出したわけです。感染拡大が落ちついたから自然に社会が動き出したのでしょうか。
「重症急性呼吸器症候群(SARS)」、「中東呼吸器症候群(MERS)」の時に社会対応を迫られた社会は今ほとんどの国で初めて対応に迫られた国よりは比較的冷静だったと思います。対応が初めてだったほとんどの国は過剰反応しました。医療崩壊なんて戦時中以外では考えられなかったので仕方なかったでしょう。
多くの人が感染、比較的短期間で死んでしまうとなったらパニックに陥るのはしょうがないです。でもロックダウンから3ヶ月、そろそろ過剰反応することに耐えられなくなりつつあります。この秋以降、再びくるとされているコロナウイルス第2波。トランプ大統領はその時にはロックダウンは再びしないと言っています。
アメリカではそのタイミングでアメリカ大統領選挙がありますから、これは非常に興味深いです。経済優先をアピールする候補、患者一人一人の命を守ることを優先する候補。暴走しているトランプ大統領ですけど、もしかしたら再選するかもしれないです。当然彼は政治家ではなくビジネスマンですから経済を優先させるでしょう。
悲観論、楽観論
2021年、コロナウイルスワクチンが開発され、社会が普通に動き始めると去年の今頃のロックダウンは何だったのだろうか、と振り返るっているかもしれません。嫌、そんなことはない、第2波、第3波が人類を恐怖におとしめているであろうと予測する人もいるでしょう。悲観論、楽観論、どちらを信じて良いのか。
スペイン風で起こったような悲劇を我々は再び体験することになるのか?それともテクノロジーの指数関数的進化によって奇跡が起こるのか?確かなことが一つ、中国叩きが始まるでしょう。日本は米ソ冷戦の時のように経済活動をひたすら行っていけば、良いのです。どちらのプラットフォームにも対応していけるよう、IT化社会を加速させる。
私も休むことなく、新しい社会体制に適応するべく自己投資、自己研鑽に励みたいと思います。日常は戻ってきますけど、社会効率の最適化、それによって雇用形態はどんどんスリムになっていくでしょう。今回のコロナウイルス危機でまた一気に加速します。多くの人は普通に戻った日常生活を送るだけで、努力を始める人は一部の人だけになるでしょう。
願わくは利益追求だけを求め続ける資本主義体制には少し落ちついて欲しいです。また暴走し始めると第2のコロナウイルス危機は比較的早く我々社会に迫ってくるかもしれません。その時になって慌てるのではなく、今回の経験を活かして準備しておく。何処に住んで、どのような仕事をして、どのような人と暮らして、どのような人生を送っていくのか?
巨大な恐怖心を我々人類に与えたのは、良かったとしたいです。ゆっくりと変化していく猶予を与えられず、対応を迫られた。強制的に今までのこと、現在の状況への対応、これからのことを考えていくことをさせられたわけです。変化への適応、あなたは何処に行きますか?私はどのように生きていくのか道筋を設計しました。
だから地下鉄乗るにもやっと日本のようにアプリで改札を抜けられるような仕組みを導入するまでに随分と時間がかかりました。平均値以下の人に日本では当たり前のデフォルトを社会の中に組み込んでしまうとその人たちは困ってしまうし適応できないからです。何も移民だけではなく、貧困家庭で教育が施されていない低階層の人たちもです。
英語プラス@の時代。インテリジェンスな情報を英語でキャッチ。日本語に翻訳されるまで待つのはやめましょう。できるあなたへ、 Knowledge is Power. このパワーの意味するところは何であろうか? それは思うに『異なる環境へ適用する能力』だと思います。
例を挙げるなら、簡単な海外への小旅行から不確定未来のさまざまな社会への対応能力など、それ相応の知識を持っているのといないのとでは、その人の人生の過程において得るであろう結果は、まったく違ったものになります。
当たり前のことですが成人してからの個人はすべて自己責任です。育ってきた環境への不満は、成人してからの人生ではすべて自分次第でどうにでもなります。今の自分の生活環境を嘆く前に自分は努力してきただろうか、問いただしてみるといい!
小旅行の場合。英語で言う Please, Execuse Me, Thank You はなるべくその行く国々の言葉で話したほうが無難である、と言われます。その他に簡単な挨拶から10ぐらいまでの数字の言い方。その国のお金の単位や、その渡航時期の気候など、常識と思われるある程度の情報はその旅行自体を楽しんだり、その個人を守る上で必須。
新しく違う環境での生活を始めるとなった場合はどうでしょう?例えば住み慣れた日本の環境から、経験のない海外での生活となると、情報収集の意味がその行く国々についての知識の習得と言うニュアンスに変わってきます。その国の言葉から文化や生活スタイルに至るまで、勉強するべき範囲は広がるのです。
そして最後にこれから益々社会の変化のスピードが早まる中、どのような社会になっても自分を有利に導くことができるかどうかは、その人の知性に関わってきます。基礎となる知識がなくては、知性というもう一つの意味に近づくことができません。
まず何かを知ることからはじめたらどうでしょうか?無知は無恥につながるが何も知らない自分を知ることのほうが、何かを学ぼうとするためのきっかけになると思います。そのほうが知らないでずっと行ってしまうよりはまし。
自分に何が必要かを知った個人にとって、勉強という言葉は無意味に。サバイバル、といったニュアンスのほうが近いのでしょうか。自分の未来を信じることができるのならば、明日への新しい自分に出会うために今日、努力すべき。やるべきことはたくさんあります!!大前研一氏も言っています、
「自分に投資する!!自分に投資して付加価値を高め、どんな状況になっても生きていけるだけのスキルを身につける。その時の必要条件は知的に怠惰でないということ。知りたいと思ったことは調べ、経験したいと思ったことは経験し、行ってみたいと思った所には行かなければならない。」、と。