【新型コロナウイルス】ロックダウンから3週間、ニューヨークから【先が見えない不安】
医療従事者は怖いでしょう、でもこの人たちに前線で戦ってもらわないとニューヨークはパンデミックどころじゃなくて、ジェノサイドになってしまうでしょう。病院内の映像が出回っていましけど、廊下にたくさんの患者さんが簡易ベット上で治療を施してもらっています。完全防備しているとはいえ、あの中を進んでいき、患者治療に当たるのは恐怖でしかないです。
夜12時前に就眠して朝6時起床という生活に改善、起きてコーヒーを作る間に便の気配を感じトイレへ、自分のう○この臭いに”わぁー、くせぇー”と思いつつも”あっまだ俺は感染していない”と安心する日々を送っている今日この頃、皆さんいかがお過ごしですか? ニューヨークは今後2週間が1番のピークですか、緊張します。
凄い数の感染者が存在していて、それに対応できる医療施設とか医療従事者が不足しているんです、今のニューヨークは。普段、洪水警報とか光化学スモックのような危険ですよ警報がスマホに緊急時は送られてくるんですけど、この間、全てのヘルスケアワーカー、健康管理施設へボランティアとしてサポートしてくれとの緊急警報がスマホに届きました。
凄い数の感染者が存在していて、それに対応できる医療施設とか医療従事者が不足しているんです、今のニューヨークは。普段、洪水警報とか光化学スモックのような危険ですよ警報がスマホに緊急時は送られてくるんですけど、この間、全てのヘルスケアワーカー、健康管理施設へボランティアとしてサポートしてくれとの緊急警報がスマホに届きました。
先が見えない不安
医療従事者は怖いでしょう、でもこの人たちに前線で戦ってもらわないとニューヨークはパンデミックどころじゃなくて、ジェノサイドになってしまうでしょう。病院内の映像が出回っていましけど、廊下にたくさんの患者さんが簡易ベット上で治療を施してもらっています。完全防備しているとはいえ、あの中を進んでいき、患者治療に当たるのは恐怖でしかないです。
40代男性で感染した方の記事( 0403「NY感染体験記(未確定)」 )が上がっていましたけど、怖いです。呼吸困難って恐怖でしょう。あっ、このまま自分は死ぬんだ、という。自分の免疫力を上げる努力、睡眠、運動、食事、規則正しい生活習慣、で不安という精神状態を緩和させる努力、頑張りすぎない、とか。あぁ、シンドイなぁ。
木々のお花が開花するこの時期、ほんと毎年楽しい季節なんですけど、今年は引きこもっています。ハナミズキ、今満開です。そして桜が開花して初夏を迎え、メモリアルディーになり、レイバーディーまで思いっきり遊ぶぞぉーという夏に突入するニューヨーク。自宅待機の勧告が解除されても夏には普通の状況が戻るのかな、と? うーん、それはありえない。
南半球各國、他発展途上国や、まだ感染者ピークを抑え切れていない他国からの入国者を制限する処置は、ワクチンが出回って完全にコロナ対策が完了しました、と人々が安心感を持てるまで持続するのではないでしょうか。自分は抗体を持ったという認識を得て、社会も、国も集団免疫を確立した上でのガイドラインを示せた後での社会活動はありだと思います。
トランプ大統領が3月終わりに、15日間の社会距離政策(ソーシャル・ディスタンシング、集会禁止などの政策)」を4月30日まで1カ月間延長。完全な経済活動の再開は当初主張していた「復活祭(4月12日)」ではなく、「6月1日」を目標とするとの発表。ニューヨークはどこまで耐えられるのか? 暴動が起きなければいいんですけど、不安です。
オリンピック日程発表への違和感
まっしょうがないでしょう、これを目標にやってきた大勢の人に向かって「中止」になりました、なんて言えないですから。でも世界中から選手が、観客がくるでしょうか? ゴルフ、サッカー、バスケットボール、テニスなどプロとして稼げている選手はオリンピックに参加するリスクを減らす方向へと、行動変容が起きるのではないかと。
経済的に、個人、社会に、余裕があるのかどうか? 金を出した人間が儲かれば良い、と言う無責任さはそろそろ大衆が認知する常識になるのではないかと。だとしたら来年開催予定のオリンピック、指示されないでしょう。インバウンド需要、オリンピック需要をあてにしてる人は何とか開催方向へもっていってもらいたいだろうし。
でもそんな短期で終了してしまうような希望にお金や人力を投資するのなら、もっと現実的に困っている人への改革を行っていくべき、という人の方がマジョリティーのような気がします。スポーツイベントはARやVRで楽しむ、という気運が高まるだろうし、実際それらのプラットフォームが案外早く、社会に浸透し始めるかもしれません。
(2024/10/14 14:16:36時点 楽天市場調べ-詳細)
まっしょうがないでしょう、これを目標にやってきた大勢の人に向かって「中止」になりました、なんて言えないですから。でも世界中から選手が、観客がくるでしょうか? ゴルフ、サッカー、バスケットボール、テニスなどプロとして稼げている選手はオリンピックに参加するリスクを減らす方向へと、行動変容が起きるのではないかと。
非常事態宣言
調整、調整、で誰が責任を取るのか? 日本社会の特徴の一つです。でも危機が間近に迫っているのとき時間稼ぎをする必要があるのか? 迅速に決断して大衆の方向性を促す、こういう方向へと行きます、と国が宣言してくれた方が日本人は案外すんなりと受け入れるはずなんじゃないかと。そっちの方が一斉に社会が動くのではないでしょうか。
対応できなかった人は、まさかそんなこと起こるはずない、と行動適応できなかった人なので自己責任という感じで負担を負ってもらうしかない。底辺にいる人できちんと自己対応をできる範囲でしてきた人だけに支援をする。自分が思考停止で何もしなくて、政府になんとかしろ、というような人はもう淘汰してもらうしかないのでは、と感じています。
非常事態宣言、いつでそうだ、とみんなが伺っているから行動できない。周囲を見て行動しますから、日本人は。だったら今週の木曜日に非常事態宣言を出します。これこれこのような機関がストップします、これこれは通常通り稼働します、みたいな発言をしてしまえばいいのに。後、2日、3日しかないよ、と言ってパニックになっちゃうかな。
食糧調達は大丈夫、公共の移動機関は動きます、と保証をする。実際、ニューヨークではバスも地下鉄も動いているし。食料も調達できています。その間にちょっとそれは困る、と言ってきた企業なり団体には時間的猶予がある間に自分たちで対応しろ、と自主行動を促す。非常事態宣言を出して人々の行動を制限しないと、復帰時期が遅くなるからこっちの方が嫌でしょ。
このコロナウイルスは手強いです。医療が発達したとはいえ、ワクチン開発に1年以上も費やす必要があり、それまで人類は未知のウイルスについての情報を手探りに集めながら戦っています。肉眼では確認できないし、気配も感じませんが、存在していることは確かです。だから逃げても無駄だし、逃げる場所も存在していません。戦うしかないのです。
このコロナウイルスは手強いです。医療が発達したとはいえ、ワクチン開発に1年以上も費やす必要があり、それまで人類は未知のウイルスについての情報を手探りに集めながら戦っています。肉眼では確認できないし、気配も感じませんが、存在していることは確かです。だから逃げても無駄だし、逃げる場所も存在していません。戦うしかないのです。
そのばあさんは、よく晴れた日に、二人の孫を連れて、山菜を取りに行ったんだ、そして虎に襲われた、ばあさんは棘のついた木の枝で虎の注意をそらしながら、飛びかかって、虎の耳を食いちぎったそうだ、その婆さんのコメントは中国でも有名になった、圧倒的に強い敵にギリギリまで追いつめられた時、残された唯一つの手段、それは戦うことだ、ばあさんは、そう言ったんだとさ(愛と幻想のファシズム参照)
調整、調整、で誰が責任を取るのか? 日本社会の特徴の一つです。でも危機が間近に迫っているのとき時間稼ぎをする必要があるのか? 迅速に決断して大衆の方向性を促す、こういう方向へと行きます、と国が宣言してくれた方が日本人は案外すんなりと受け入れるはずなんじゃないかと。そっちの方が一斉に社会が動くのではないでしょうか。
英語プラス@の時代。インテリジェンスな情報を英語でキャッチ。日本語に翻訳されるまで待つのはやめましょう。できるあなたへ、 Knowledge is Power. このパワーの意味するところは何であろうか? それは思うに『異なる環境へ適用する能力』だと思います。
例を挙げるなら、簡単な海外への小旅行から不確定未来のさまざまな社会への対応能力など、それ相応の知識を持っているのといないのとでは、その人の人生の過程において得るであろう結果は、まったく違ったものになります。
当たり前のことですが成人してからの個人はすべて自己責任です。育ってきた環境への不満は、成人してからの人生ではすべて自分次第でどうにでもなります。今の自分の生活環境を嘆く前に自分は努力してきただろうか、問いただしてみるといい!
小旅行の場合。英語で言う Please, Execuse Me, Thank You はなるべくその行く国々の言葉で話したほうが無難である、と言われます。その他に簡単な挨拶から10ぐらいまでの数字の言い方。その国のお金の単位や、その渡航時期の気候など、常識と思われるある程度の情報はその旅行自体を楽しんだり、その個人を守る上で必須。
新しく違う環境での生活を始めるとなった場合はどうでしょう?例えば住み慣れた日本の環境から、経験のない海外での生活となると、情報収集の意味がその行く国々についての知識の習得と言うニュアンスに変わってきます。その国の言葉から文化や生活スタイルに至るまで、勉強するべき範囲は広がるのです。
そして最後にこれから益々社会の変化のスピードが早まる中、どのような社会になっても自分を有利に導くことができるかどうかは、その人の知性に関わってきます。基礎となる知識がなくては、知性というもう一つの意味に近づくことができません。
まず何かを知ることからはじめたらどうでしょうか?無知は無恥につながるが何も知らない自分を知ることのほうが、何かを学ぼうとするためのきっかけになると思います。そのほうが知らないでずっと行ってしまうよりはまし。
自分に何が必要かを知った個人にとって、勉強という言葉は無意味に。サバイバル、といったニュアンスのほうが近いのでしょうか。自分の未来を信じることができるのならば、明日への新しい自分に出会うために今日、努力すべき。やるべきことはたくさんあります!!大前研一氏も言っています、
「自分に投資する!!自分に投資して付加価値を高め、どんな状況になっても生きていけるだけのスキルを身につける。その時の必要条件は知的に怠惰でないということ。知りたいと思ったことは調べ、経験したいと思ったことは経験し、行ってみたいと思った所には行かなければならない。」、と。