【朗報】世界の常識は日本の非常識が日本を再び蘇らせる【宗教、イデオロギーに執着なし】
宗教対立も日本では絶対に理解することは不可能でしょう。イスラム教、キリスト教、ユダヤ教なんてどうでも良いんです、日本に住んでいる限りは。日本株式会社、日本政府、に所属して我慢人生を送る、今は我慢していたら日本株式会社も日本政府も助けてくれませんから、それはそれで大変でしょうが、気に入らないから殺されるという不条理は起きにくい。
一人の黒人に対して白人警官4人が暴行を加え、その一連の出来事が録画されていてメディアを通して全米に広がりました。一気に不満爆発、白人警察は無罪評決となり暴動へと社会が荒れ始めます。 今から約28年前の1992年、私はロサンジェルスに住んでおり、「ロドニー・キング事件」、「ロサンゼルス暴動」を体験しました。
街の至るところで放火、略奪が相次ぎ、昼間なのにロサンゼルスの空は放火による火災で煙に覆われ真っ暗、と言う状態、消化活動が追いつかない。州兵が街中に常駐して異様な雰囲気に包まれたまま、人々はやりきれない鬱憤を何処にぶつければ良いのかわからず、ロサンゼルスはただ、混乱状態。そして2020年、初夏、同じような光景が全米中で・・・
アメリカに住むとわかるんですけど、まだまだ人種差別は存在しています。大都市ならそのようなことを気にせず住むことも可能ですが、少しでも田舎、白人が多く住んでいるような地方都市に行くとアジア人は珍しいものでも見るかのように凝視され、明らかに異様な緊張感の空気に包まれます。
黒人と白人の対決、と言うより、黒人がどのようにアメリカ社会で扱われてきて、現在、そしてこれからのことなども予想がついてしまうんです。黒人は差別の対象、と簡単に決めつけることはできますけど、その黒人の普段の行動姿勢によっても致し方ないかなぁ、との決断へ導かれてしまうのです。原因は貧困と教育かな、と。
平気で地下鉄フォーム下、地下鉄内でゴミを捨てていく黒人、地下鉄内で大騒ぎしているのも黒人ということが結構あります。他には地下鉄へ、無賃乗車をしているのも黒人が多いように感じます。アジア人を見れば誰でも「チャイナ」と言ってくる無教養さ。社会に対して集団として生きていくためのマナー不足は貧困と教育がやっぱり原因かなぁ、と。
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黒人と白人の対決、と言うより、黒人がどのようにアメリカ社会で扱われてきて、現在、そしてこれからのことなども予想がついてしまうんです。黒人は差別の対象、と簡単に決めつけることはできますけど、その黒人の普段の行動姿勢によっても致し方ないかなぁ、との決断へ導かれてしまうのです。原因は貧困と教育かな、と。
勿論、立派な黒人も多数存在していることも事実です。でも比較的一部の黒人たちがしているマナー不足の行動が目立ち、それがやっぱり黒人はダメだ、という印象を黒人全体に与えているということが損をしているなぁ、と。でも言い換えればやっとここまで来たんです。つまりアメリカ合衆国大統領に黒人がなれる社会というレベルまで。
でもまだまだ黒人といだけで弊害を受ける社会も存在しています。だから事あるごとに、声に出して訴えていかないと、自分たちの存在が脅かされたまま、未来へと進んでしまうんです。このような逞しさ、生き様、が今全米各地で起こっているプロテストへと人々を駆り立てます。凄い社会だなぁと、社会を動かすパワーを人民が持っている国、アメリカです。
平気で地下鉄フォーム下、地下鉄内でゴミを捨てていく黒人、地下鉄内で大騒ぎしているのも黒人ということが結構あります。他には地下鉄へ、無賃乗車をしているのも黒人が多いように感じます。アジア人を見れば誰でも「チャイナ」と言ってくる無教養さ。社会に対して集団として生きていくためのマナー不足は貧困と教育がやっぱり原因かなぁ、と。
日本の不思議、イデオロギー
その点、日本は良い意味で平和です。政府に文句があろうが、誰も周りを伺うばかりで自分からは行動する事なし、我慢社会、日本。だから満員電車もディフォルトなんです。これじゃ内部から社会変革なんて絶対に起きないでしょう。人種差別による訴えも何処か幼稚っぽいのは現実感が社会に存在しないからでしょう。
村八分ですから、同じ日本人同士でも他者を受け入れること、難しいのに肌が違う人間を日本人社会受け入れるでしょうか。そのようなキャパシティーを日本人は持ち合わせていません。だからこのまま、日本人だけの社会構成で良いと思います、というかそれ以外の選択肢はありません。 日本社会に移民制度なんて絶対に無理です。
その我慢社会が嫌な場合、これからたくさんの選択肢が出てきますから、それを選んで前に進んでいくのか、現状維持を目指すのかは個人次第。 白人至上主義とか、ヘイトユダヤとか、ヘイト二グロとか、日本人には馴染まないイデオロギーなんでそれに巻き込まれない社会に住んでいるだけでも幸せと捉えて、ひたすら我慢社会で生きていく。
日本の不思議、宗教
宗教対立も日本では絶対に理解することは不可能でしょう。イスラム教、キリスト教、ユダヤ教なんてどうでも良いんです、日本に住んでいる限りは。日本株式会社、日本政府、に所属して我慢人生を送る、今は我慢していたら日本株式会社も日本政府も助けてくれませんから、それはそれで大変でしょうが、気に入らないから殺されるという不条理は起きにくい。
世界を見渡してみれば、宗教、イデオロギーが軋轢を生んでいますから。今の時代、日本に生まれてそこで住んでいる事自体、世界の平均値と比べてみるとそれだけでラッキーですから。生まれてから普通に存在している便利な社会。蛇口をひねればキレイな水、お湯が出る暮らし。清潔で安全な社会。便利で何でも手に入る社会、日本。
でも本当にキリスト教、イスラム教は救いになるのか?それらを信じる事で違う宗教との紛争を繰り返していた国はどうなっているのか?工業化に遅れた国は貧しいまま搾取され続けました。 社会のインフラが整っていないような社会では宗教が精神安定剤になります。社会に紛争が溢れるところでは宗教は精神安定剤になります。
情報化社会が加速している今はどうでしょう。インターネットを利用してイノベーションを生み出せないジレンマ。インターネットを取り入れれば自分が信じていた宗教の二面性、良いところ、良くないところなどの真実を目にしてしまうかもしれない。現状維持をしていると世界は一変してしまいました。気がつけば世界の潮流に乗り遅れていたのです。
今の時代、日本に生まれてそこで住んでいる事自体、世界の平均値と比べてみるとそれだけでラッキーですから。生まれてから普通に存在している便利な社会。蛇口をひねればキレイな水、お湯が出る暮らし。清潔で安全な社会。便利で何でも手に入る社会、日本。
アフターコロナウィルス社会
今、人類にとっての最後の列車が発車しようとしています。工業化に乗り遅れ、インターネットを利用する情報化社会にも乗り遅れた国々には、これが最後となる発展、進化への列車が発車しようとしています。その列車には以前は工業化行き、と書かれていました。少し前までは情報化行き、と書かれていました。
今、全世界を停滞へと陥れているコロナウイルス危機。アフターコロナでは、遺伝子工学がコロナウィルス危機を救った、人工知能がコロナウィルス危機を救った、と人々は認識しているはずです。この分野に強い人材を多く持っている国は最終列車に乗ることができます。 最終列車はバイオテクノロジーとコンピューターサイエンスと書かれているようです。
日本はイデオロギーに翻弄されることなく、冷戦時代、ひたすら工業化社会に向けて走り続けていました。宗教に影響されることなく、インターネットを受け入れ、情報化社会へと対応しつつあります。ここは既得権益の層をぶち壊さないと最終列車に乗り遅れます。バイオテクノロジーとコンピューターサイエンスの人材確保は必須です。
アフターコロナではアメリカと中国の覇権争いが一段と大きくクローズアップされるはずです。物理的にもイデオロギー的にも宗教的にも、両国から挟まれる立ち位置にいる日本。既得権益層が支配するアナログな社会で停滞していると、両大国からいいように扱われてしまう可能性があります。気がついたら搾取されていたなてことにも気がつかないまま・・・
最終列車に乗り遅れないためにはどうすればいいのでしょうか?私は能力のある20代と伸び代のある10代に期待する方が良いのではないか、と感じています。優秀な20代の若者に投資する、勤勉な10代に投資する。このような若者は今全米各地で声をあげ、行動している勇者と同じです。行動力が社会を変えていく。
もういい加減にしてくれ、既得権益層は社会の一線から退いてくれ、後は俺たちでやるから、ということを期待したいです。このような行動力がある若者に投資しないと、日本は最終列車に乗り遅れ、搾取される国になってしまいます。アフリカや中東諸国でイデオロギー、宗教を信じ進化発展してこなかった国が今どうなっているのか?
北朝鮮は今どうなっているのか?イデオロギー、宗教、を強固に固め、進化発展することを取り入れてきませんでした。そこに住んでいる人々をどのようにみますか?外の世界を知らないから幸せかも、ということもあるでしょう。でも日本も変化対応しないと、そのように外の便利さを知らない搾取されたままの社会で未来を歩んでいくことになるのです。
今、人類にとっての最後の列車が発車しようとしています。工業化に乗り遅れ、インターネットを利用する情報化社会にも乗り遅れた国々には、これが最後となる発展、進化への列車が発車しようとしています。その列車には以前は工業化行き、と書かれていました。少し前までは情報化行き、と書かれていました。
英語プラス@の時代。インテリジェンスな情報を英語でキャッチ。日本語に翻訳されるまで待つのはやめましょう。できるあなたへ、 Knowledge is Power. このパワーの意味するところは何であろうか? それは思うに『異なる環境へ適用する能力』だと思います。
例を挙げるなら、簡単な海外への小旅行から不確定未来のさまざまな社会への対応能力など、それ相応の知識を持っているのといないのとでは、その人の人生の過程において得るであろう結果は、まったく違ったものになります。
当たり前のことですが成人してからの個人はすべて自己責任です。育ってきた環境への不満は、成人してからの人生ではすべて自分次第でどうにでもなります。今の自分の生活環境を嘆く前に自分は努力してきただろうか、問いただしてみるといい!
小旅行の場合。英語で言う Please, Execuse Me, Thank You はなるべくその行く国々の言葉で話したほうが無難である、と言われます。その他に簡単な挨拶から10ぐらいまでの数字の言い方。その国のお金の単位や、その渡航時期の気候など、常識と思われるある程度の情報はその旅行自体を楽しんだり、その個人を守る上で必須。
新しく違う環境での生活を始めるとなった場合はどうでしょう?例えば住み慣れた日本の環境から、経験のない海外での生活となると、情報収集の意味がその行く国々についての知識の習得と言うニュアンスに変わってきます。その国の言葉から文化や生活スタイルに至るまで、勉強するべき範囲は広がるのです。
そして最後にこれから益々社会の変化のスピードが早まる中、どのような社会になっても自分を有利に導くことができるかどうかは、その人の知性に関わってきます。基礎となる知識がなくては、知性というもう一つの意味に近づくことができません。
まず何かを知ることからはじめたらどうでしょうか?無知は無恥につながるが何も知らない自分を知ることのほうが、何かを学ぼうとするためのきっかけになると思います。そのほうが知らないでずっと行ってしまうよりはまし。
自分に何が必要かを知った個人にとって、勉強という言葉は無意味に。サバイバル、といったニュアンスのほうが近いのでしょうか。自分の未来を信じることができるのならば、明日への新しい自分に出会うために今日、努力すべき。やるべきことはたくさんあります!!大前研一氏も言っています、
「自分に投資する!!自分に投資して付加価値を高め、どんな状況になっても生きていけるだけのスキルを身につける。その時の必要条件は知的に怠惰でないということ。知りたいと思ったことは調べ、経験したいと思ったことは経験し、行ってみたいと思った所には行かなければならない。」、と。