【仲良しの秘密】なぜ「NiziU」はオーディション番組でライバルを蹴落とすことなく助け合ったのか?【海外生活経験者なら理解できます】
そうするとKPOPという文化、その場所で生きていく覚悟が必要でこれって日本の外。KPOPで受け入れてもらえなかったから日本へ帰国して活動、という安っぽい決意ではないんです。KPOPという文化で自分の立ち位置、自分たちの立ち位置を確保して世界に向かって挑戦していく。ライバルを蹴落としている暇はないんです。
「NiziU」の新曲観ましたか?「Step And A Step」はYouTubeで配信されて24時間以内に1000万回レビュー達成、ファンとしては大満足です。もうミイヒを最後皆んなで迎えるシーンで号泣、一人一人のシーンがそれまでの過程を表現していて感動しました。マユカのドアだけ虹色でカメレオンのように自在に変わったの、気づきましたか?
皆んな仲良い様子が伝わってくるんですけど、どうして「NiziU」はあんなにも仲が良いのか?オーディションでライバルを蹴落とすことなく助け合っていたのか?どうしてだと思います?海外生活経験者なら理解できると思うんですけど、私が思うところ、ズバリ日本国外で戦っているから、という凄く当たり前のことです。
やっぱり海外で生活するって大変なんです。異文化で毎日過ごすだけでも困難なのに、その上でチャレンジしていく環境下に置かれる。もうストレス、不安も凄いでしょうし、キツかったと思います、オーディション期間は。助けてくれる家族や友達も近くにいないし、甘えられない。まだティーンの女の子じゃないですか。
これが日本国内だったら、どうだったでしょう、ということもあるんですけど、それよりもKPOPという異文化、異国のポップカルチャーに挑戦するということが強い決意を必要とさせるんです。じゃないとサバイバルできませんから。もう戦友みたいなものでしょう、同じ寮に住んで同じ飯を食べて戦い抜く。この決意があるかないか。
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海外で暮らす=マイノリティーになる
これ、どういうことかわかります?お隣韓国はやっぱり今でも日本嫌い、という反日感情が湧き上がりやすい。このような環境で住むということはどういうことか。少しでも日章旗に繋がりやすいような雰囲気が韓国で形成されるとバッシングを受けるんです。「Twice」のサナが令和の話題を持ち出しただけで叩かれてしまう。
もう恐怖でしかないんです。チャイナウィルスとトランプ大統領が叫ぶたびにアジア系移民に対してのヘイトクライムが発生しやすい状況が生まれ、なるべく目立たないように行動する、というのがアメリカでは自分の身を守るためには必要なこと。マイノリティーに自分が属する、ということはかなり神経を使います。
想像できないかもしれませんが、もしサッカー日本代表がFIFAワールドカップで優勝したらどうなるのか? なぜサッカー日本代表は戦えるようになったのか、昔に比べて。それは海外、欧州とかで活躍する選手が増えたから。日本国外で戦ってある場所、この場合はFIFAワールドカップ優勝ですけど、を目指しているから。
これが心地良い生活環境を海外で得られる。こういうことなんです、日本国外で戦う、ということは。だから「NiziU」が助け合ったのはお互いサバイバルする必要があったからなんです。 もう海外でサッカーをするプロ、日本人プロ選手の生活環境が安心、安全なものに向上するんです。世界中からリスペクトされるんです、
皆んなで成長して、デビューして、日本国内で、韓国国内で、世界で活躍するようになったら世界中からリスペクトされますって。そうしたらどこへ行っっても守ってくれるファンに囲まれるであろうし、韓国KPOPカルチャーでも受け入れられて、韓国での生活も心地良いものに向上すると思います。「Step And A Step」だよねぇ〜!
これ、どういうことかわかります?お隣韓国はやっぱり今でも日本嫌い、という反日感情が湧き上がりやすい。このような環境で住むということはどういうことか。少しでも日章旗に繋がりやすいような雰囲気が韓国で形成されるとバッシングを受けるんです。「Twice」のサナが令和の話題を持ち出しただけで叩かれてしまう。
皆んなで成長して、デビューして、日本国内で、韓国国内で、世界で活躍するようになったら世界中からリスペクトされますって。そうしたらどこへ行っっても守ってくれるファンに囲まれるであろうし、韓国KPOPカルチャーでも受け入れられて、韓国での生活も心地良いものに向上すると思います。「Step And A Step」だよねぇ〜!
日本人を騙す輩も存在することは事実
でもそんな奴らは海外でも狭い環境、日本人環境という中でしか生きていくことができない寂しい人間なんで関わるのはやめましょう、時間の無駄です。本当に海外で生活していてその国の文化、社会に適応している人は日本人が多く集まるところには出てこないですから。 海外に住んでいても同じ日本人を騙す人、存在することも事実です。
本当に凄い人は有名なアメリカ企業のど真ん中の目立たない部分で活躍していることが多いですし、その組織奥深くで頼られる人材として活躍しているので海外の日本社会に出てくることは稀なんです。しかしその国にしっかり足をつけて暮らしている頼もしい存在、という日本人も大勢存在しています。
なんでライバルを蹴落とすのか
、日本村、日本社会、普段の日常生活に存在している学校、会社、家庭環境など同じ価値観を共有していることを強制させられる社会が日本なんです。良くも悪くも・・・ それはズバリ言うと、日本国内で戦っているからです。日本国内の枠組みというか。村八分という言葉が昔から存在している国なんです
もし仮にこれから「NiziU」が日本国内だけで活動していくとなったらメンバー間で軋轢が生まれるかもしれません。余計な情報とかも入ってくるであろうし、それだけでストレス。でも「NiziU」はこれから韓国でも、東南アジアでも、ヨーロッパでも、南米諸国でも、そしてアメリカでも活動していくんです。
そうするとKPOPという文化、その場所で生きていく覚悟が必要でこれって日本の外。KPOPで受け入れてもらえなかったから日本へ帰国して活動、という安っぽい決意ではないんです。KPOPという文化で自分の立ち位置、自分たちの立ち位置を確保して世界に向かって挑戦していく。ライバルを蹴落としている暇はないんです。
日本で生活したほうが楽だから皆んな帰国
お互いが協力して立ち向かっていかないと、シンドイです、正直。海外で生活していれば気付くんですけど、行った先で骨を埋めようとしている日本人は海外の他の移民者に比べて多くはありません。どうしてだと思いますか?日本は恵まれた国だから帰国組が存在しているんです。頑張って適応するより日本帰ったほうが楽だから。
よってそこまで海外での繋がりはないですし、日本人同士でもあんまり協力したりはしません。しかし、不幸にも国を追われた国民は異国の地で協力し合います、じゃないと生き残れないから。だから団結力が生まれるんです。華僑をみましょう、彼らの逞しさは凄まじいです。地球のどの地域を旅行しても必ずあるのが中華料理レストラン。
それだけ逞しいということ。逆に言えば良い意味で日本はまだまだ恵まれた国だということです。帰れる国があるんですから。それに海外に出ても日本社会のような安全さ、快適さ、安心、便利、というのは期待できないケースがほとんど。だったら皆んな日本へ帰国します。行った国先はちょっとの期間滞在するという気構え。
いつまで続く日本社会の豊かさ
2025年問題、2030年問題、少子高齢化社会、これからも日本の豊かさを守れるのだろうか?本気で海外脱出しないとヤバいよね、と大衆が感じるようになってから動き始めても遅い。目に見えて社会が荒廃していく様子を感じ始めたらもう恐怖です。「NiziU」を追って若い子はどんどん海外で生活することの選択肢を選ぶと思います。
日本を出て海外で暮らすことを余儀なくされたならば、あなたにはその地で生き抜いていく覚悟があるだろうか?「NiziU」って皆んな助け合って仲が良いよね、というのは他人事ではないんです。もし近い将来、海外生活を選択するのならば、このような決意、気概を持って挑戦してください。
「NiziU」ってなんか礼儀正しいよねとか、皆んな黙って人の話を聞くときには聞くよねとか、こういうのって日本人の特徴じゃないですか、海外から評価受けるときの。 多くの日本人が、日本の外で戦うことで、日本語始め、日本食などの日本の文化を守って、後世に受け渡していけると私は信じております。
きっとサッカーでも野球でもそれぞれのフィールドで日本人の評価の特徴があると思います。料理の世界とかも、フレンチとかイタリアン、その国へ行って修行をしている日本人の評価とかも。そのような日本人らしいところは海外で戦うからこそ、気付くことであり、このような気質は継承されるべきだと思っています。
これが日本国内だったら、どうだったでしょう、ということもあるんですけど、それよりもKPOPという異文化、異国のポップカルチャーに挑戦するということが強い決意を必要とさせるんです。じゃないとサバイバルできませんから。もう戦友みたいなものでしょう、同じ寮に住んで同じ飯を食べて戦い抜く。この決意があるかないか。
英語プラス@の時代。インテリジェンスな情報を英語でキャッチ。日本語に翻訳されるまで待つのはやめましょう。できるあなたへ、 Knowledge is Power. このパワーの意味するところは何であろうか? それは思うに『異なる環境へ適用する能力』だと思います。
例を挙げるなら、簡単な海外への小旅行から不確定未来のさまざまな社会への対応能力など、それ相応の知識を持っているのといないのとでは、その人の人生の過程において得るであろう結果は、まったく違ったものになります。
当たり前のことですが成人してからの個人はすべて自己責任です。育ってきた環境への不満は、成人してからの人生ではすべて自分次第でどうにでもなります。今の自分の生活環境を嘆く前に自分は努力してきただろうか、問いただしてみるといい!
小旅行の場合。英語で言う Please, Execuse Me, Thank You はなるべくその行く国々の言葉で話したほうが無難である、と言われます。その他に簡単な挨拶から10ぐらいまでの数字の言い方。その国のお金の単位や、その渡航時期の気候など、常識と思われるある程度の情報はその旅行自体を楽しんだり、その個人を守る上で必須。
新しく違う環境での生活を始めるとなった場合はどうでしょう?例えば住み慣れた日本の環境から、経験のない海外での生活となると、情報収集の意味がその行く国々についての知識の習得と言うニュアンスに変わってきます。その国の言葉から文化や生活スタイルに至るまで、勉強するべき範囲は広がるのです。
そして最後にこれから益々社会の変化のスピードが早まる中、どのような社会になっても自分を有利に導くことができるかどうかは、その人の知性に関わってきます。基礎となる知識がなくては、知性というもう一つの意味に近づくことができません。
まず何かを知ることからはじめたらどうでしょうか?無知は無恥につながるが何も知らない自分を知ることのほうが、何かを学ぼうとするためのきっかけになると思います。そのほうが知らないでずっと行ってしまうよりはまし。
自分に何が必要かを知った個人にとって、勉強という言葉は無意味に。サバイバル、といったニュアンスのほうが近いのでしょうか。自分の未来を信じることができるのならば、明日への新しい自分に出会うために今日、努力すべき。やるべきことはたくさんあります!!大前研一氏も言っています、
「自分に投資する!!自分に投資して付加価値を高め、どんな状況になっても生きていけるだけのスキルを身につける。その時の必要条件は知的に怠惰でないということ。知りたいと思ったことは調べ、経験したいと思ったことは経験し、行ってみたいと思った所には行かなければならない。」、と。