【海外からの視点】これからの日本社会、暴露系ユーチューバーが与える影響力とは【イライラ社会の行くへ、解決策提示】
他人を振り落とすより、自分の努力で社会構造の違う層へと移行するモチベーションは起きないのでしょうか?高齢者がマスとなって日本社会の人口構造を担っていることもあって現状維持を支持する人がほとんどなんでしょう。でも他人の不幸話にワクワクする人生ってなんなんでしょう。私の周りにもいます、他人のネガティブ情報に興奮する人、いつも文句ばかり喋っている人。本人は気づいていないんです、他人は迷惑していると。
39歳だったと言うことですから彼の人生とはなんだったのかと考えさせられます。生まれてくることは我々は選べないわけでして、そこからの各々の人生、育て親の存在だったり、友達環境だったり、社会情勢だったりと生きていく上で様々な影響を受けるんですけど、死んでいく際の理由が無差別に人を殺した罪を問われて、と言うのはなんとも虚しい感じがします。 秋葉原通り魔事件の犯人である加藤智大の死刑が執行されました。
勿論、この事件で犠牲にあって亡くなってしまった方々なんて巻き添えを食らってやりきれないでしょうし、怒りの矛先をどこへ向けていいのやら、虚しいやるせない想いをしていることと想像します。社会が支払うにはあまりにも代償が大きすぎますが、あぁ俺でなくてよかった、私でなくてよかった、と安堵の気持ちでいるには無責任な感じもします。というのも外から眺めている日本は本当にイライラ感が社会に充満している気がするからです。
秋葉原通り魔事件を筆頭にその後、このような事件、結構ありました。相模原障害者施設殺傷事件、京都アニメーション放火殺人事件、京王線刺傷事件、北新地ビル放火殺人事件。で、先日の安倍晋三元首相暗殺事件。イライラ感満載、どうせ逮捕されるなら、どうせ終身刑に遭うのなら、どうせ死刑になるのなら、今までの恨み、復習してその埋め合わせをしてやる、という人物が増えているように感じるのです。
勿論、銃社会のアメリカにも似たような事件は発生しています。でもちょっとニュアンスが違うなぁと思うのは他者を巻き添えにした殺人事件、多くの場合、ヘイトクライムである場合が多いということも特徴的で、ゲイが嫌い、イスラムが嫌い、アジア系が嫌い、中絶実行しているクリニックが許せない、白人以外全部嫌い、警察組織が嫌い、とまぁわかりやすいといえばわかりやすい。殺すのは誰でもよかったということは稀な気がします。
ターゲットがあって、その対象となるマスに向かって怒りの矛先を向ける。銃で乱射したり、爆破テロを起こしたり。日本における狂気的殺人事件、対象者がいる場合もありますけど、秋葉原通り魔事件のように誰でもよかった、というのは防ぎようがなかったのかなっぁと考えてしまいます。というのもアメリカの場合だったら、どうだったらだろうと考えてしまうからです。社会が手を差し伸べただろうか、個人が自発的に行動するだろうか?
イライラ感、八つ当たり、道連れ妄想の行くへが気になっていて、インターネットには安倍晋三元首相暗殺事件を賞賛する書き込みもあるんです。既得権益社会は歪んでいる、絶望的な人たちへの救済がない社会という空気が充満していて、個人の利益だけが目立ってしまう社会というのは恨みを買いやすいと感じます。お金を稼ぐことが賞賛されない社会、お金の話は敬遠される空気があります。 ニューヨークがダメでも、ロサンジェルスがある、東海岸がダメでも西海岸がある、というような環境を日本で求めるのは無理なのでしょうか?
ガーシー現象とは
今巷で、ユーチューブ界隈ではガーシーが流行っています。所謂暴露動画。これ1番喜んでるのが40代、50代の負け犬オジサン連中ということも日本社会の今を反映していて興味深いです。美味しいおもいしてきたやつざまーみろと、感じている輩がたくさんいるんです。日本人は我慢強いというか、文句も言わずに社会からの圧力に耐えながら必死に生きているわけでして、美味しい思いしていた連中は攻撃の対象なんです。
で、ガーシーが今度の選挙立候補して当選してしまいました!もしかしたらガーシーが政治家の既得権益を取り巻く環境、やっつけてほしい、美味しい思いしている連中を懲らしめてほしい、と願っている輩は大騒ぎでしょう。あわよくば、誰かが今回の安倍晋三元首相暗殺事件のように美味しい思いをしている連中に征伐を与えてくれと願っているはず。どうしてここまでイライラ感が充満してしまったのでしょう。ガス抜きはできないのでしょうか?
他人の不幸話に喜ぶ人種
今の日本社会に不満持ってる奴、たくさんいます。円安だし、その前はコロナで、敵が見えない状態、苛立ちをどこへぶつけていいか。政治家だけ、既得権益者だけいい思いしやがって、とい奴らがウジャウジャいて、誰もが他人が足を掬われる場面を目撃して喜んでいる。精神的に余裕がないというか、もうネガティブそのもの。一個人ならばその相手との関係性を断つ、ということも出来ますけど、社会相手ではどうするのか?
不満持ってる奴が今回の件で、じゃ俺もとなって捨て身で暗殺仕掛ける、増えるでしょう、特定の増悪対象に対して攻撃してくる事件。銃さえあれば、銃さえ簡単に手に入れることができれば、嫌いな対象は一瞬にして、”死人に口無し”状態に持っていけます。年金もらって現状維持希望の高齢者を憎んでいる若者は苛立っています。
他人を振り落とすより、自分の努力で社会構造の違う層へと移行するモチベーションは起きないのでしょうか?高齢者がマスとなって日本社会の人口構造を担っていることもあって現状維持を支持する人がほとんどなんでしょう。でも他人の不幸話にワクワクする人生ってなんなんでしょう。私の周りにもいます、他人のネガティブ情報に興奮する人、いつも文句ばかり喋っている人。本人は気づいていないんです、他人は迷惑していると。
自己投資しない日本人
何かを勉強する、何かのスキルを身につけて、一つ上の社会層へと自分を導く努力をしていない人ばかりです。だから努力している人見つけると、足を引っ張ろうとするし、自分だけがなんでこんな目に遭うんだとなって不機嫌になるんです。それが積もっていくとイライラ感が充満し、他人の妬み、社会への八つ当たりへとなっていくような気がします。 そういう人間の特徴として共通しているのは自助努力をしていないこと。
世界的にみると日本人は社会人となった後、ほとんどの人は勉強をしないそうです。社会が劇的に変化している世の中、変化へと対応できな個は滅びていくのです。今多くの高齢者がなんとかこのままの状態で逃げきれないかと密かに願っています。つまり終身雇用、年功序列社会が自分がくたばるまで、せめて家のローンを支払い終わるまで、子供の学費を支払い終わるまで、と社会の現状維持を切に希望しているのです。
逃げ切り世代と、追い詰められた世代と、絶望世代
何とかこのままの世界情勢で逃げ切りたい(経済的に)。年金は自分さえもらえればOK、後の世代は知らない。自分が生きている間だけ、日本経済が何とか持ってくれればOK。円安だろうが、ぎりぎり生活できてしまえばOK。このような社会層に属している高齢者なんかくたばっちまえ、と思っている輩はどのような状態なのでしょうか?
新型コロナウィルス、円安、でにっちもさっちも行かない。他人のせいにする個人増加、社会に復習したい。高齢者優遇社会が2050年以降も続く可能性による絶望感。ITによる社会最適化を遅らせようとする原動力になる日本社会への諦め感。個人で切り開いていこうとする人、日本から脱出人続出。でもほとんどの日本人は日本社会と一緒に地盤沈下していってしまうでしょう。英語なんてもう無理、という人がほとんどですから。
社会に充満する空気感がやばいことになりそうな日本社会。このイライラ感を抱いている逃げ切りたい世代と追い詰められた世代が存在していて、何もしないツケは必ず大きな代償となって日本社会に住んでいる日本人に多大な影響を与えるはずです。私は日本が大好きだし、日本人のことも大好きだし、自分が日本人であることにも感謝しています。だから変化に対応しないで多くの日本人が沈んでいく状態に残念で仕方がないんです。
円安によって起こりうる未来
日本は内需から、自ら変化することは無理です。大きな社会変化はいつも外からやってきました。明治維新、第2次世界大戦。日本人全員の価値観を瞬時に変えるような大きな出来事ってなんなんでしょうか?南海トラフ、首都直下型地震、富士山爆発などによる自然災害でしょうか、でも日本政府は国債を発行して救済するでしょう。
つまり日本経済は強いんだという認識を粉々に紛糾してしまう。円安となって日本国債も暴落、外から物を買えなくなってしまう状況。多く日本円を溜め込んでいる高齢者の大部分はこれで吹っ飛ぶだろうし、既得権益層も存続できなくなります。これだとイライラしている若者層は喜ぶでしょうが、一つ懸念点があります。それは中国やロシア、アメリカが安くなった日本を占領してしまう可能性です。 私は日本円の暴落だと思っています。
そうなると悲惨ですから、ここは気をつけたいんですけど日本人全体の意識を強く変えさせるには大切な祖国が一度、他国(日本という共通の歴史、文化を共有しない民族)に占領される必要があるのかもしれません。もし北海道が中国の属国として占領されてしまったら多くの日本人は失ってしまったものの大きさに気がつくでしょう。そしてほとんどの場合、それを取り返すには膨大なエネルギーとコストが必要だということにも気づくはずです。
それぐらいのショックが起きないと日本人は自ら変わらないのではないかと思うのです。英語や中国語、ITなんかも勉強しそうですし、ファイナンス、お金の勉強も自ら始める人も出てくるでしょう。でもそのようなスキルを身につけた個人は日本を見捨てて国外へ行ってしまう気もします。多くの日本人は我慢をしながら日本で暮らしていく。多くの高齢者、無理です、今から英語とか中国語とかIT、ファイナンスの勉強なんて!
円安時代でもサバイバルできる術
冒頭でガーシーがユーチューブを利用して大きな力を獲得し始めている、というお話を書きました。多くの高齢者、日本社会の中でしか生活できない、国外へと脱出することができない層にもこれを利用するんです。観光産業に乗っかって円安時代でもサバイバルできる術を身につける。インフラ投資(集客して、お金を落としてもらう仕組みを想像して創造する)をして海外とつながる仕組みを組み立てる。そしてその周りの経済圏で生きていく。
日本の外と経済的につながることができれば、高齢者優遇の日本社会の仕組みに縛られる必要はないでしょうし、日本円が安くなろうが、日本経済が弱くなろうが、自ら稼ぐ仕組みを構築して生きていける自信がつくと思うのです。素晴らしい自然、四季、食事、街の景観、安全性、清潔感。田舎ほど魅力が残されていることに気づいてください。郷土自慢を日本人に向けて行うのではなく、外国人にするのです。
そうすれば日本政府にお金を頼る必要なし、想像して創造していくのです、お金が落ちていく仕組みを。一つの事柄に縛られるから、自らを追い込んで行ってしまうのだと思うんです。学校、いじめられていたり、つまらなかったら学校を変える。会社、いじめられていたり、自分とは合わないと感じたら会社を変える。自分の住んでいる場所、違うなと思ったら違う場所へと移動する。家族だって違うと思ったら変えて、さっさと幸福になる。
ここが重要なんでしょう。怒りを内に溜め込まないで、外へと発散していく。日本社会の外と積極的に繋がっていく。テックトックで集客して、ユーチューブで収益して、自分の商品へと導いてください。イライラ感は外へ向けて発散するしか解消する方法はありません。溜め込むな、内側へ! 他人を、ある特定の団体を、自分が被害者だと感じて負のエネルギーを全力で注ぎ込むことは不幸でしかないです。その怒りのエネルギーは膨大ですから、それをプラスの方向へ向けることができていれば、どんだけ社会は助かったか。
今の日本社会に不満持ってる奴、たくさんいます。円安だし、その前はコロナで、敵が見えない状態、苛立ちをどこへぶつけていいか。政治家だけ、既得権益者だけいい思いしやがって、とい奴らがウジャウジャいて、誰もが他人が足を掬われる場面を目撃して喜んでいる。精神的に余裕がないというか、もうネガティブそのもの。一個人ならばその相手との関係性を断つ、ということも出来ますけど、社会相手ではどうするのか?
英語プラス@の時代。インテリジェンスな情報を英語でキャッチ。日本語に翻訳されるまで待つのはやめましょう。できるあなたへ、 Knowledge is Power. このパワーの意味するところは何であろうか? それは思うに『異なる環境へ適用する能力』だと思います。
例を挙げるなら、簡単な海外への小旅行から不確定未来のさまざまな社会への対応能力など、それ相応の知識を持っているのといないのとでは、その人の人生の過程において得るであろう結果は、まったく違ったものになります。
当たり前のことですが成人してからの個人はすべて自己責任です。育ってきた環境への不満は、成人してからの人生ではすべて自分次第でどうにでもなります。今の自分の生活環境を嘆く前に自分は努力してきただろうか、問いただしてみるといい!
小旅行の場合。英語で言う Please, Execuse Me, Thank You はなるべくその行く国々の言葉で話したほうが無難である、と言われます。その他に簡単な挨拶から10ぐらいまでの数字の言い方。その国のお金の単位や、その渡航時期の気候など、常識と思われるある程度の情報はその旅行自体を楽しんだり、その個人を守る上で必須。
新しく違う環境での生活を始めるとなった場合はどうでしょう?例えば住み慣れた日本の環境から、経験のない海外での生活となると、情報収集の意味がその行く国々についての知識の習得と言うニュアンスに変わってきます。その国の言葉から文化や生活スタイルに至るまで、勉強するべき範囲は広がるのです。
そして最後にこれから益々社会の変化のスピードが早まる中、どのような社会になっても自分を有利に導くことができるかどうかは、その人の知性に関わってきます。基礎となる知識がなくては、知性というもう一つの意味に近づくことができません。
まず何かを知ることからはじめたらどうでしょうか?無知は無恥につながるが何も知らない自分を知ることのほうが、何かを学ぼうとするためのきっかけになると思います。そのほうが知らないでずっと行ってしまうよりはまし。
自分に何が必要かを知った個人にとって、勉強という言葉は無意味に。サバイバル、といったニュアンスのほうが近いのでしょうか。自分の未来を信じることができるのならば、明日への新しい自分に出会うために今日、努力すべき。やるべきことはたくさんあります!!大前研一氏も言っています、
「自分に投資する!!自分に投資して付加価値を高め、どんな状況になっても生きていけるだけのスキルを身につける。その時の必要条件は知的に怠惰でないということ。知りたいと思ったことは調べ、経験したいと思ったことは経験し、行ってみたいと思った所には行かなければならない。」、と。