ここだけの話ですが、30年近くお世話になったゲーブルテレビを解約しました
読書習慣は小学生の頃から続いているんですが、テレビを受動的に観るって行為は、知的に、能動的に、自分の脳ミソを活用する、という知的筋トレには繋がらないですし自分でも観た番組、記憶に残らないというか、印象に残らないというか。受動態から能動態へ自分の生活スタイルを変化させる。
今から約30年前、1988年8月22日、当時19歳の私はアメリカへ留学することになりました。円高になり始めの頃、誰もが気軽に留学できる時代の始まりです。行った先はノースカロライナ州シャーロット。大学付属の英語学校へ通うため、大学キャンパス内の一般学生寮へ入居して私の英語漬けの生活が始まります。
ルームメイトはアメリカ人3人。白人を見れば、”あっ外人だ”って思っていた一人の若造(私です)がいきなり白人の東部アメリカンエスタブリッシュメント系の典型的アメリカ人との生活。その一人がリビングルームで何かのスポーツをテレビ観戦しています。その瞬間が人生で初めて体験したケーブルテレビとの出会いでした。
日本では東京に住んでいたので、テレビのチャンネル数は多いとしても7から8チャンネルぐらいですか。NHKと民放各局の放送といったかたち。アメリカのテーブルテレビだとチャンネル数は100以上です。24時間365日、スポーツ専門のチャンネル、ニュース専門のチャンネル、音楽専門のチャンネル、映画専門のチャンネルなどなど。
英語に慣れるためリスニング強化、スポーツはじめ、ニュース、映画、ドラマなど積極的に活用していました。キャプションサービスなるものも重宝しました。所謂字幕サービスです。話しているダイアログがテレビ画面にちょっとの間をおいて、もしくは話すのと同時のタイミングで映し出されます。聞き取れない箇所は、あぁ今のはこのように言っていたのかぁ、と。英語を母国語としない私には有難いサービスです。
このようにして私はアメリカのケーブルテレビ文化にすっかり馴染んでおりました。しかし、ケーブルテレビの契約を今回終了してしまいました。理由は単にテレビを観なくなったから。多くのスポーツ中継はYoutubeでダイジェストかハイライトを観るだけになり、ニュースなどはインターネットで充分。
テレビっ子だった自分がテレビを観なくなるとは想像していませんでした。30年近くお世話になったわけです。インターネットの影響力って改めてすごいなぁ、と。HuluやNexfliexが流行しているのも頷けます。ケーブルテレビよりも月額利用料金安いですし。リビングルームに大きなテレビとオーディオセットを置いておく、というスタイルは時代遅れなんです。
スマートフォンで動画を楽しむスタイル
今はスマートフォンで動画を楽しむスタイル。音楽もワイヤレスヘッドフォンで充分。ホームシアターは一部のオーディオマニアが支持し続けるでしょう。テレビを囲んでスポーツ中継をみんなで楽しむ、ということはあるかもしれませんが、テレビが家族団欒の中心であった時代は過去の出来事になってしまいました。
じゃ、ケーブルテレビを解約して空いた時間に何するの?ということですけど、本を読む時間が増えたような気がします。読書の習慣は小学生の頃から続いているんですが、テレビを受動的に観るって行為は、知的に、能動的に、自分の脳ミソを活用する、という知的筋トレには繋がらないですし、あんまり自分でも観た番組、記憶に残らないというか、印象に残らないというか。受動態から能動態へ自分の生活スタイルを変化させる。
私の生活空間で起こった小さな出来事ですが、今後、大きなインパクトを与えてくれそうな予感がします。新しいこと、学んでみたいなぁ、という勉強意欲も湧いてきました。リビングルームもこれで広くなるし・・・
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追伸:コロナ禍、ケーブルテレビ再び契約しました!
情報を仕入れる必要があったこと、家にいる時間が長くなりネットだけでは娯楽が乏しいこと。自分で勉強する時間とか、仕事に集中する時間の確保ができるようになったのでケーブルテレビ契約ありかなぁとの考えに至りました。私が視聴する時間は夕食を食べた後、寝る前の数時間、小説を読む時間と共有しております。
元々スポーツ観戦が大好きだったこともあり、コロナ禍で中断していたんですけどやっぱり楽しいです、本場のスポーツ観戦は。メジャーリーグなんて野手の強肩に改めてスゲェーと驚かされ、NBAもそのスピードとダイナミックさに感動しております。大好きなゴルフ中継も嬉しいし、モータースポーツ、自転車ロードレースとお腹いっぱいになります(笑)。
テニスにサッカーチャンピオンズリーグ、嬉しい〜、楽しい〜。アップルTV、買おうかなぁ・・・これでネットフリックスとかディズニーチャネルとか視聴できて、日本のテレビやこれから増えるであろうKPOPアーティストのライブ配信などが揃えば、もう家にいる空間を充実させる価値、充分あります。アフターコロナはウィズコロナですから。
東京に住んでいたので、テレビのチャンネル数(NHKと民放各局の放送)は7から8チャンネルぐらいですか。アメリカのケーブルテレビだとチャンネル数は100以上です。24時間365日、スポーツ専門のチャンネル、ニュース専門のチャンネル、音楽専門のチャンネル、映画専門のチャンネルなど。
英語プラス@の時代。インテリジェンスな情報を英語でキャッチ。日本語に翻訳されるまで待つのはやめましょう。できるあなたへ、 Knowledge is Power. このパワーの意味するところは何であろうか? それは思うに『異なる環境へ適用する能力』だと思います。
例を挙げるなら、簡単な海外への小旅行から不確定未来のさまざまな社会への対応能力など、それ相応の知識を持っているのといないのとでは、その人の人生の過程において得るであろう結果は、まったく違ったものになります。
当たり前のことですが成人してからの個人はすべて自己責任です。育ってきた環境への不満は、成人してからの人生ではすべて自分次第でどうにでもなります。今の自分の生活環境を嘆く前に自分は努力してきただろうか、問いただしてみるといい!
小旅行の場合。英語で言う Please, Execuse Me, Thank You はなるべくその行く国々の言葉で話したほうが無難である、と言われます。その他に簡単な挨拶から10ぐらいまでの数字の言い方。その国のお金の単位や、その渡航時期の気候など、常識と思われるある程度の情報はその旅行自体を楽しんだり、その個人を守る上で必須。
新しく違う環境での生活を始めるとなった場合はどうでしょう?例えば住み慣れた日本の環境から、経験のない海外での生活となると、情報収集の意味がその行く国々についての知識の習得と言うニュアンスに変わってきます。その国の言葉から文化や生活スタイルに至るまで、勉強するべき範囲は広がるのです。
そして最後にこれから益々社会の変化のスピードが早まる中、どのような社会になっても自分を有利に導くことができるかどうかは、その人の知性に関わってきます。基礎となる知識がなくては、知性というもう一つの意味に近づくことができません。
まず何かを知ることからはじめたらどうでしょうか?無知は無恥につながるが何も知らない自分を知ることのほうが、何かを学ぼうとするためのきっかけになると思います。そのほうが知らないでずっと行ってしまうよりはまし。
自分に何が必要かを知った個人にとって、勉強という言葉は無意味に。サバイバル、といったニュアンスのほうが近いのでしょうか。自分の未来を信じることができるのならば、明日への新しい自分に出会うために今日、努力すべき。やるべきことはたくさんあります!!大前研一氏も言っています、
「自分に投資する!!自分に投資して付加価値を高め、どんな状況になっても生きていけるだけのスキルを身につける。その時の必要条件は知的に怠惰でないということ。知りたいと思ったことは調べ、経験したいと思ったことは経験し、行ってみたいと思った所には行かなければならない。」、と。