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山崎豊子著「大地の子」を読み終わりました。

山崎豊子著「大地の子」を読み終わりました。

家畜以下の扱いを受けると言うことがどのようなことを言うのか想像できないと思います。日本人の血が流れていると言うだけで、第2次世界大戦後の中国で生きることの惨さをヒシヒシと感じさせるものがあるんです。戦争に負け、日本へ帰る術をなくし、日本人と言うレッテルを貼られたまま、労働者として人身売買にかけられ、中国の貧しい家庭に労働者として売られていく。

もしあなたが現在50歳以上で昭和世代、と言うことであったのなら、山崎豊子著「大地の子」を読むべきだと思います。いきなりなんなんだぁ、と思うかもしれませんが、私が子供の頃、記憶していた”中国残留孤児”と言うことはこのような時代背景があったんだぁと理解できるからです。覚えてます?”中国残留孤児”関連のニュース。

第2次世界大戦が終わって、中国に置き去りにされ、日本人だけど中国人として育てられ、日中国交回復後、日本に生存しているであろう、その置き去りにされた子たちと両親を再開させると言うものなんですけど、当事者でない限り、ふーんで終わってしまうニュース。でもこの小説を読むと中国残留孤児たちがどれほどの過酷な人生を歩まざるを得なかったのか、垣間見ることができます。

文化大革命下の中国

私は新刊本を読んだので全部で三部構成になっていました。大まかな流れとしては上巻で主人公である”陸一心”が文化大革命によって壮絶な人生を歩むことになる物語が描かれています。中国で中国人として育ってきたにもかかわらず、血は日本人ということで冤罪をかけられます。そこから始まる強制労働所での生活といったら過酷と言う言葉以上の仕打ちに合います。

家畜以下の扱いを受けると言うことがどのようなことを言うのか想像できないと思います。日本人の血が流れていると言うだけで、第2次世界大戦後の中国で生きることの惨さをヒシヒシと感じさせるものがあるんです。戦争に負け、日本へ帰る術をなくし、日本人と言うレッテルを貼られたまま、労働者として人身売買にかけられ、中国の貧しい家庭に労働者として売られていく。

「捨てる神あれば拾う神あり」、とはよくいったもので酷い扱いを受けていた”陸一心”を育てた中国人もいたんです。中国人として侵略戦争を仕掛けられた日本人の子供を我が子として育てる、と言う決意は並大抵のものではないはず。その生い立ちあっての、冤罪をかけられ、なんとか息子の冤罪を無実であると説明するためにとった両親の行動たるや凄まじいものがあります。

根性とかのレベルじゃないです。生き延びる、この困難な状況下でも生きるぞ、と言う凄まじいまでの生への執着でしょうか。文化大革命の時代の中国で生きる、それも日本人の血が流れている人間として生きると言うことがどれほど不条理であるかをこれでもか、と言うぐらいに実感させられます。ひたすら耐える、と言うことがこんなにも酷いことだなんて。

中国残留孤児というニュースの背景

中巻、下巻は文化大革命が終わってからの中国の様子が描かれています。経済的に中国を立て直す、と言う名目の下、鉄鋼事業を国家プロジェクトとして日本の大企業と共同で進めていくんですけど、イヤー凄いです、中国人の中華思想なるものは。今でこそ、我々はある程度中国とは中国人とは、どのような国で人柄であるとかの情報を持っていますけど、私が子供の頃の中国は謎だらけでした。

1970年代、1980年代といえばまだ世界は西側、東側で分かれていて、東はソビエト連邦を筆頭にコミュニズムの世界。当然、中国なんて謎でしかありません。そのような中で日中国交復活して、経済共同プロジェクトあり、中国残留孤児などの問題解決あり、とあの当時、第一線で活躍していた人材はやはり昭和の人間、逞しさを感じます。”24時間、戦えますかぁ?”の時代ですから。

”陸一心”はまだ恵まれた育てられ方をしましたが、生き別れになった妹の”あつ子”は想像を絶するような酷い(むごい)人生を送っています。中国残留孤児でまだ日本へ肉親探しのために帰国した人たちはマシな方。幼い頃から労働者として育てられた多くの孤児たちはほとんど読み書きができないため、そのような肉親探しにも意思疎通ができず、諦めなくてはいけない人たちも多く存在していたんです。

日本の実の父親と”陸一心”の再開は小説とはいえ、凄いドラマでした。もうこれほどまで次から次へと残酷な状況が自分の人生に突如現れたら、普通の人だったら簡単に絶望してしまうでしょう。そんな”陸一心”、中国人として生きることを選ぶのか、それとも日本人として生きることを選ぶのか?二人の父親、揺れ動く自分の気持ち、自分を助けてくれた妻への思い。

大陸の人は逞しい

「大地の子」、やっぱり大陸の人は逞しいです。生き延びること、生き続けることへの執着心、生へのエネルギーは日本人が想像できないほど、がめついものです。しかしこれこそが本来の人間の姿というか、生への執着心のたくましさがあったからこそ、ここまで人類は生き延びてきたのだと思います。

私は1988年に渡米したんですけど、通っていた大学付属英語学校の中に中国からの女性留学生がいたんです。あの頃はまだソビエト連邦も崩壊しておらず、中国と言えば謎だらけの中国共産党というイメージ。皆んな似たような服装で、大量の自転車に乗っている中国人、という印象。その状況下での西側アメリカへの留学ですから、きっとエリートだったはず。

シュークリーム
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まだ19歳だった私は、彼女と話すたびにどこか身構えていたように思います。この小説を読んで、その当時の中国からの留学生を思い出しました。

その後、日本はバブル経済崩壊に合い、失われた10年が20年に、20年が30年に至っているのが今の日本社会。中国社会、中国経済を立て直すぞ、と国家レベルで燃えていた中国は解放改革政策の下、もの凄い成長を遂げ、GDPでも世界第2位の地位を獲得して、アメリカから世界覇権の座を奪う勢いで尚邁進しています。

一帯一路構想を実現しようとしている中国は本気

今の中国経済は、日本を見習って製鉄に力を入れていた頃の延長線でしかありません。まだまだ、世界の覇権を取りに行くぞ、という気概は失われていないんです。一帯一路はこの小説を読めば、あの時代からの延長線だということが理解できると思います。「大地の子」、中国人全体が正に”大地の子”であるわけです。

どんなに過酷な状況下に置かれても健かに生き延びていく、”大地の子”とは生存競争そのものです。こんな気概の中国に世界は勝てるはずがないのは当然。「大地の子」、凄まじい小説でした!

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第2次世界大戦が終わって、中国に置き去りにされ、日本人だけど中国人として育てられ、日中国交回復後、日本に生存しているであろう、その置き去りにされた子たちと両親を再開させると言うものなんですけど、当事者でない限り、ふーんで終わってしまうニュース。でもこの小説を読むと中国残留孤児たちがどれほどの過酷な人生を歩まざるを得なかったのか、垣間見ることができます。

ABOUT ME
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19歳で渡米、ノースカロライナ州シャーロット、カリフォルニア州ロサンジェルスを経て現在ニューヨーク在住!!ウェブライター、エッセイスト、スポーツジャーナリスト、写真家、動画編集・制作者として活動する50代オヤジ。プログラミング、動画制作、ゴルフにどハマりしてます(笑)ユーチューブ、はじめました!
Knowledge Is Power.

英語プラス@の時代。インテリジェンスな情報を英語でキャッチ。日本語に翻訳されるまで待つのはやめましょう。できるあなたへ、 Knowledge is Power. このパワーの意味するところは何であろうか? それは思うに『異なる環境へ適用する能力』だと思います。

例を挙げるなら、簡単な海外への小旅行から不確定未来のさまざまな社会への対応能力など、それ相応の知識を持っているのといないのとでは、その人の人生の過程において得るであろう結果は、まったく違ったものになります。

当たり前のことですが成人してからの個人はすべて自己責任です。育ってきた環境への不満は、成人してからの人生ではすべて自分次第でどうにでもなります。今の自分の生活環境を嘆く前に自分は努力してきただろうか、問いただしてみるといい!

小旅行の場合。英語で言う Please, Execuse Me, Thank You はなるべくその行く国々の言葉で話したほうが無難である、と言われます。その他に簡単な挨拶から10ぐらいまでの数字の言い方。その国のお金の単位や、その渡航時期の気候など、常識と思われるある程度の情報はその旅行自体を楽しんだり、その個人を守る上で必須。

新しく違う環境での生活を始めるとなった場合はどうでしょう?例えば住み慣れた日本の環境から、経験のない海外での生活となると、情報収集の意味がその行く国々についての知識の習得と言うニュアンスに変わってきます。その国の言葉から文化や生活スタイルに至るまで、勉強するべき範囲は広がるのです。

そして最後にこれから益々社会の変化のスピードが早まる中、どのような社会になっても自分を有利に導くことができるかどうかは、その人の知性に関わってきます。基礎となる知識がなくては、知性というもう一つの意味に近づくことができません。

まず何かを知ることからはじめたらどうでしょうか?無知は無恥につながるが何も知らない自分を知ることのほうが、何かを学ぼうとするためのきっかけになると思います。そのほうが知らないでずっと行ってしまうよりはまし。

自分に何が必要かを知った個人にとって、勉強という言葉は無意味に。サバイバル、といったニュアンスのほうが近いのでしょうか。自分の未来を信じることができるのならば、明日への新しい自分に出会うために今日、努力すべき。やるべきことはたくさんあります!!大前研一氏も言っています、

自分に投資する!!自分に投資して付加価値を高め、どんな状況になっても生きていけるだけのスキルを身につける。その時の必要条件は知的に怠惰でないということ。知りたいと思ったことは調べ、経験したいと思ったことは経験し、行ってみたいと思った所には行かなければならない。」、と。

想像して創造すれば君は何処へでも行ける!