私がブログを書き続ける理由
チキリンさんの著書「自分の時間を取り戻そう」を読んで、テキストは非常に生産性が高い、という記述内容に後押しされました(ブログを書き続けるということです)。曰く、その内容が難しければ難しいほど、わかりやすく説明できれば、その価値は高い、と。
私がブログを書き始めたのは2002年頃ですか、まだブログというウェブアプリケーションは無く、普通に自分のウェブサイトを立ち上げて、そこへ書いたエッセイみたいなものをあげて自分でリンクを貼っていくというものでした。そこからのテクノロジーの進化といったら凄いです。社会の仕組みをゆっくりと確実に変えているのをつくづく感じます。
今ほど世の中の変化が激動している時代はない、ってよく聞きますけど、どうなんでしょう。私なんて昭和生まれですから、勿論世の中はアナログ的で不便というより、デジタルの世界を知らないのでそれが普通でした。この過程で経験したことって凄いというか、もう昔のようなアナログな世界には戻れないだろな、と。
テレビなんてまずリモコンないし、カメラもフィルムが当たり前。デジタルだからその場で確認でき、何枚撮っても平気という今の感覚は素敵すぎます。CDなんてまだ無く、カセットテープで音楽を聴いていました。電話も黒電話のダイヤル式。重たいし、電話の着信音なんて一つしかないですから。
1980年代に入って少しずつ周りの環境がデジタル化、といっても今から比べるともう戻るの嫌だ、というぐらいのアナログ社会です。時間のタイムラグが有り難かった、という感覚は今の若い人たちには理解できないでしょう。メールもラインもソーシャルメディアも無い時代。アナログ的なものはまたそれはそれで良いもんですけど、その仕組みに戻れ、と言われたら私でももう無理です。
社会全体のデジタル化プロセス、自分がどう感じ、何を思ったのかログを記録しておこうと。結構、貴重だと思いません?アナログ的な社会を経験してきて、デジタル化社会へ対応していくのって。アナログ的な社会環境へはもう戻ることは無いでしょうから、この先ずっと。日本という狭い環境のことでは無く人類的に、といっても大げさでは無いと思います。
ホモ・サピエンスからホモ・デウスへ
それらの影響を受けて死ぬのではく、今の時代の人類は自分で自分を殺しているそうです。食べ過ぎ、運動不足などからの生活習慣病です、砂糖の取りすぎとか。 「サピエンス」著者、ユヴァル・ノア・ハラリ氏によると、今現在の世の中を生きている人類はラッキーであると。我々の先祖が経験してきた飢饉、疫病、戦争などはほぼ完璧といっていいほど人類はそれらを克服した、と。
「サピエンス」著者、ユヴァル・ノア・ハラリ氏によると、今現在の世の中を生きている人類はラッキーであると。我々の先祖が経験してきた飢饉、疫病、戦争などはほぼ完璧といっていいほど人類はそれらを克服した、と。
で、この本の続編「ホモ・デウス」ではこれからの100年について書かれています。非常に興味深い内容でして、ほんと我々人類は何を目指しているのか、考えさせられます。我々人類は遂に、老齢化と死を克服するとか。死という概念さえ消し去ろうとしているのです。神様に代わって人間が、人工知能が生命を設計始めるという未来。
2030年には今の2018年の社会形態、時代遅れだと感じるでしょう。どれくらいデジタル化の世の中が進んでいるのでしょうか。自動運転が支配しているパブリック交通網、本当に実現できているのでしょうか。2040年、ブロックチェーンの技術が社会をより便利で安全な社会へと進化に貢献しているのでしょうか。
アナログ的な社会環境で育った人間が、この変化の過程で感じる様々な事柄、記録しておくことは貴重なんじゃないか、と。もう戻ること、無いですから。アイフォーンやインターネットの無い社会へはもう、戻れません。老齢化を止める、って凄いです。私の場合、ずっとゴルフができる体を維持する、ということになるんでしょうか。
テキストは生産性が高い
日本語でブログ書くことも大事ですけど、その内容を英語でも書こうと決意しました。 チキリンさんの著書「自分の時間を取り戻そう」を読んで、テキストは非常に生産性が高い、という記述内容に後押しされました(ブログを書き続けるということです)。曰く、その内容が難しければ難しいほど、わかりやすく説明できれば、その価値は高い、と。
日本で今現在何が’起こっているのか?世界のどこの国よりも早く少子高齢化社会を迎える日本社会がどのように対応してくのかどうか?ガラパゴス状態だった日本国内でのビジネスがどのようにして、世界市場へと挑戦してくのか?日本社会全体の生産性は上がるのかどうか?失われた10年、20年の日本経済は今後復活してくのかどうか?
日本のことが知りたいけど、今現在の日本について英語で発信している媒体、そんなに多く無いという感覚なんですけど、いかがでしょう。これは私にとってチャンスだと思いました。グーグル翻訳が一段とその精度をあげてきたタイミングもありがたいです。80%の翻訳状態でも、後は自分の英語的感覚で修正していけば大丈夫だろう、と。
果たして世界中からアクセスがあるのかどうか?やってみようと思います。自分が人工知能に置き換えられないようにするには創造性を発揮するしか無いのでは無いか、と思い始めていて、ブログを書き続けることが何かを創造してくことを自分に課す、ということに繋がるのではないか。
50歳を迎えた今、市場に自分の価値を受け入れられるように努力していくことが、この先、自分を有利な環境に導いてくれるのではないか。自分がブログを書き続ける理由とは、社会変化や社会進化に興味にある自分の記録と、マーケット(市場)から自分の価値を支持され続けるために、自分の生産性をあげる手段としてのブログでしょうか。ワクワクします!
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自分がブログを書き続ける理由とは、社会変化や社会進化に興味にある自分の記録と、マーケット(市場)から自分の価値を支持され続けるために、自分の生産性をあげる手段としてのブログでしょうか。
果たして世界中からアクセスがあるのかどうか?やってみようと思います。自分が人工知能に置き換えられないようにするには創造性を発揮するしか無いのでは無いか、と思い始めていて、ブログを書き続けることが何かを創造してくことを自分に課す、ということに繋がるのではないか。
英語プラス@の時代。インテリジェンスな情報を英語でキャッチ。日本語に翻訳されるまで待つのはやめましょう。できるあなたへ、 Knowledge is Power. このパワーの意味するところは何であろうか? それは思うに『異なる環境へ適用する能力』だと思います。
例を挙げるなら、簡単な海外への小旅行から不確定未来のさまざまな社会への対応能力など、それ相応の知識を持っているのといないのとでは、その人の人生の過程において得るであろう結果は、まったく違ったものになります。
当たり前のことですが成人してからの個人はすべて自己責任です。育ってきた環境への不満は、成人してからの人生ではすべて自分次第でどうにでもなります。今の自分の生活環境を嘆く前に自分は努力してきただろうか、問いただしてみるといい!
小旅行の場合。英語で言う Please, Execuse Me, Thank You はなるべくその行く国々の言葉で話したほうが無難である、と言われます。その他に簡単な挨拶から10ぐらいまでの数字の言い方。その国のお金の単位や、その渡航時期の気候など、常識と思われるある程度の情報はその旅行自体を楽しんだり、その個人を守る上で必須。
新しく違う環境での生活を始めるとなった場合はどうでしょう?例えば住み慣れた日本の環境から、経験のない海外での生活となると、情報収集の意味がその行く国々についての知識の習得と言うニュアンスに変わってきます。その国の言葉から文化や生活スタイルに至るまで、勉強するべき範囲は広がるのです。
そして最後にこれから益々社会の変化のスピードが早まる中、どのような社会になっても自分を有利に導くことができるかどうかは、その人の知性に関わってきます。基礎となる知識がなくては、知性というもう一つの意味に近づくことができません。
まず何かを知ることからはじめたらどうでしょうか?無知は無恥につながるが何も知らない自分を知ることのほうが、何かを学ぼうとするためのきっかけになると思います。そのほうが知らないでずっと行ってしまうよりはまし。
自分に何が必要かを知った個人にとって、勉強という言葉は無意味に。サバイバル、といったニュアンスのほうが近いのでしょうか。自分の未来を信じることができるのならば、明日への新しい自分に出会うために今日、努力すべき。やるべきことはたくさんあります!!大前研一氏も言っています、
「自分に投資する!!自分に投資して付加価値を高め、どんな状況になっても生きていけるだけのスキルを身につける。その時の必要条件は知的に怠惰でないということ。知りたいと思ったことは調べ、経験したいと思ったことは経験し、行ってみたいと思った所には行かなければならない。」、と。