【アルゼンチン優勝おめでとう!】本当の10番のプレーぶりを観た気がした【FIFAワールドカップカタール2022】
二人とも倒れてもすぐに起き上がります。卑怯な方法でフリーキックをもらいにいかないというか、自分の脚力、ドリブルでディフェンスを崩そうと走り抜くんです。強引に切り開くというか、それこそがタフネスの証。だからディフェンスは仕方なくファウルして抑えるか、何もできずにチャンスを与えてしまうかのどちらかなんです。
良い試合だった、本当のサッカー、本当の戦い。延長120分でも決まらず、PKとなったんだけど見応えのある展開が終始繰り返され、何度も双方攻撃を仕掛ける。充実した内容でどちらが勝ってもおかしくなかったと言ってもいい。けれどそこはメッシ、やっぱり最後はこの人。この大会でワールドカップは最後となるであろうメッシ、最後まで走っていました。
エンバペも最後まで走っていたし、最後延長120分になろうとしていたあたり、左ペナルティーエリア近くでボールを捌く体感のキレキレ具合に驚きました。あの時間帯でもまだトップスピードで相手ディフェンスを抜けようとするあたり、流石です。あれこそがサッカーでの10番という背番号を背負う意味なんだと感じました。
サッカーでの背番号10番という役割
メッシも同じく、最後まで走り続け、何度もチャンスを作り続ける姿勢。あれこそが10番に相応しい戦う姿勢だと思います。10番が先頭立って走っていたら、仲間は諦めないでしょ、もしかしたらチャンスに繋がる、と感じてゴール前へと走り出すはずです。そしてそれを裏切らないところがまた凄い。ドリブルで内側から抉るようにディフェンスを崩す。
観ていて、羨ましいなぁ、と何度も思いました。我々日本サッカー代表には10番を背負うのに相応しい人材が存在していたのだろうかと。今回のカタール大会では誰だったんでしょう、10番を付けていたのは?こんな存在感のない10番は初めてだったのではないでしょうか。クロアチア代表の10番、モドリッチなんて37歳、であの戦う姿勢!
あっでも彼はブラジル人から日本国籍へ帰化した人ですから、カウントできませんか。弱々しい10番なんて必要なし。メッシとエンバペの共通点はなんだったと思いますか? カッコマンに目立ちたがり屋なキャラクターが目立つ日本代表サッカーの10番を背負ってきた人材たち。泥臭くサッカーに対する熱量が伝わってきたのはラモス(古い!)ぐらいです。
二人とも倒れてもすぐに起き上がります。卑怯な方法でフリーキックをもらいにいかないというか、自分の脚力、ドリブルでディフェンスを崩そうと走り抜くんです。強引に切り開くというか、それこそがタフネスの証。だからディフェンスは仕方なくファウルして抑えるか、何もできずにチャンスを与えてしまうかのどちらかなんです。
こういう10番、日本サッカー代表にもほしいです。メッシもエンバペもペナルティーキッカー最初の一人目、どちらも落ち着いてしっかりとボールを蹴り込んでいました。テクニックも必要ですけど、もっと大事なのは絶対に決めるという自信、気持ちの問題です。まだまだ日本サッカー代表はどことなく遠慮しているように感じました。
日本サッカー代表、これからの課題
オランダやフランスのように体格的に劣るアルゼンチン。でもボール側での個人対個人で当たり負けしませんし、走り負けもしません。体格はどちらかといったら日本人のように普通の体型の選手ばかり。でもサッカーで戦い負けていないんです。これはメンタルの問題でしょうか。 日本サッカー代表はアルゼンチンサッカー代表を目指すのはいかがでしょう。
サッカーの基本的な技術も違います。明らかに日本サッカー代表はいまだにトラップが下手くそ、パス、ドリブルも昔に比べてうまくはなりましたが基本中の基本、トラップが下手な選手が多すぎます。目立つんです、トラップが下手だと。中盤でボールを取られるとか、ゴール前でチャンスを潰すとか、がっかりするじゃないですか、観ていて。
ボールが吸い付くように足元で落ち着けば、相手ディフェンスは簡単には飛び込んできませんから、そこで味方も一呼吸おけるんです。これが攻撃のリズムを作る展開へと発展していく仕組み。 全てはトラップなんです。ボールが一人一人落ち着かないから、攻撃に行くのかデフェンスに行くのかの最初の一歩の体重移動が中途半端になってしまう。
だから攻撃の展開も遅いし、畳み掛けるような分厚い展開へとも繋がらない。昔に比べたら上手くなりましたけど、FIFAワールドカップでベスト4以上行くにはもっと個々人のレベルを上げる必要があります。ヨーロッパでプレーする選手が増えたのは良いことの一つでドイツ、スペインに勝ったのも相手に対して気負いしていなかった点は成長の証でしょう。
あそこの場所で戦ってこそ得られる経験は、その個人に自信となって寄与するはず。これがホント大事、あの舞台を目指して欲しいです。もう海外でプレーするのはノルマになりました。アルゼンチンもサッカー選手輸出大国ですから、日本もそこを目指すべき! 後はFIFAチャンピオンズリーグ、準決勝進出チームでスタメンとして出場するぐらいにならないと。
後半での逆転シーンや得点シーンでは興奮しますが、前半ではイライラ感が溜まってよくないです。日本サッカー代表は今回の優勝国アルゼンチンの戦い方を見習うべき。前へ前へと攻めるのです! 前半は守りに徹して、後半に攻撃的布陣に切り替える、という漫画「キャプテン翼」のような展開で我々日本サッカー代表は行くのでしょうか。
2026年はどこまで期待できるのでしょう
2026年はベスト8以上行けるでしょうか?我々日本人はまだそこへ行った経験がないので全くの未知な世界。想像ができません。FIFAワールドカップで負けることの悔しさの歴史はそれなりに積み上げてきました。2018年に経験したベルギーとの戦いの敗戦過程がなければドイツ、スペインに対してもしかしたら後半、日本は得点を許していたかもしれません。
FIFAワールドカップで優勝することで得ることができる特典とはなんだと思いますか?これはほとんどの日本国民にはわからないことでしょう。ちゃんとあるんです、そういうものが。そしてそれらはこれから貧しくなる一方の日本が、海外へと大量出稼ぎ人材を輩出してくる中で重要になってきます。かつて松下幸之助氏はこのようにおっしゃっていました。
国民は自らの程度に応じた政治しか持ち得ない
日本国内だけで、ぬるま湯感覚で、これからの激動時代を生き抜けるのでしょうか。外へと積極的に繋がっていかないと日本人はどんどん僻んでいく性格を持ち、人や物に当たるイジケ国家へと落ち込んでいくのではないか。カタールで開催された大会のスタジアムで我々は何を目撃したのか? 政治家のレベルは国民のレベルを反映するのです。サッカーも同じ!
アルゼンチン、ブラジルも勿論、国レベルでは日本よりも経済的には劣ります。でも個々人でみると、裕福なアルゼンチン人、ブラジル人は多数、存在しているんです。 多くのアルゼンチン、ブラジル応援団が駆けつけてスタジアムを埋めていました。日本はどうでしたか?円安で国外へ行くのが大変になったという言い訳をしていませんでしたか?
アルゼンチンサッカーと言えば、前へ前へと攻撃を仕掛け続けるサッカー。ブラジルサッカーと言えば、個人技で分厚い攻撃を仕掛けてくる芸術サッカー、ヨーロッパ諸国は組織的サッカー。では日本サッカーはどうでしょう。今の日本社会を表現するキーワード、これが日本サーカーの特徴になります。昔の日本サッカーはこんな感じです。
今はどうなんでしょう?受身的な年寄りサッカー。無難にサッカーをやり切る自分さえ良ければいいじゃねぇサッカー。4年後のFIFAワールドカップが楽しみです! 上司(監督)にお伺いを確認するサッカー、ゴール前で仲間に決定機を譲る仲良しサッカー、スカートを履いてサッカーをしているんじゃないかとイライラ感の募る草食動物的サッカー、リスク回避サッカー。
メッシも同じく、最後まで走り続け、何度もチャンスを作り続ける姿勢。あれこそが10番に相応しい戦う姿勢だと思います。10番が先頭立って走っていたら、仲間は諦めないでしょ、もしかしたらチャンスに繋がる、と感じてゴール前へと走り出すはずです。そしてそれを裏切らないところがまた凄い。ドリブルで内側から抉るようにディフェンスを崩す。
英語プラス@の時代。インテリジェンスな情報を英語でキャッチ。日本語に翻訳されるまで待つのはやめましょう。できるあなたへ、 Knowledge is Power. このパワーの意味するところは何であろうか? それは思うに『異なる環境へ適用する能力』だと思います。
例を挙げるなら、簡単な海外への小旅行から不確定未来のさまざまな社会への対応能力など、それ相応の知識を持っているのといないのとでは、その人の人生の過程において得るであろう結果は、まったく違ったものになります。
当たり前のことですが成人してからの個人はすべて自己責任です。育ってきた環境への不満は、成人してからの人生ではすべて自分次第でどうにでもなります。今の自分の生活環境を嘆く前に自分は努力してきただろうか、問いただしてみるといい!
小旅行の場合。英語で言う Please, Execuse Me, Thank You はなるべくその行く国々の言葉で話したほうが無難である、と言われます。その他に簡単な挨拶から10ぐらいまでの数字の言い方。その国のお金の単位や、その渡航時期の気候など、常識と思われるある程度の情報はその旅行自体を楽しんだり、その個人を守る上で必須。
新しく違う環境での生活を始めるとなった場合はどうでしょう?例えば住み慣れた日本の環境から、経験のない海外での生活となると、情報収集の意味がその行く国々についての知識の習得と言うニュアンスに変わってきます。その国の言葉から文化や生活スタイルに至るまで、勉強するべき範囲は広がるのです。
そして最後にこれから益々社会の変化のスピードが早まる中、どのような社会になっても自分を有利に導くことができるかどうかは、その人の知性に関わってきます。基礎となる知識がなくては、知性というもう一つの意味に近づくことができません。
まず何かを知ることからはじめたらどうでしょうか?無知は無恥につながるが何も知らない自分を知ることのほうが、何かを学ぼうとするためのきっかけになると思います。そのほうが知らないでずっと行ってしまうよりはまし。
自分に何が必要かを知った個人にとって、勉強という言葉は無意味に。サバイバル、といったニュアンスのほうが近いのでしょうか。自分の未来を信じることができるのならば、明日への新しい自分に出会うために今日、努力すべき。やるべきことはたくさんあります!!大前研一氏も言っています、
「自分に投資する!!自分に投資して付加価値を高め、どんな状況になっても生きていけるだけのスキルを身につける。その時の必要条件は知的に怠惰でないということ。知りたいと思ったことは調べ、経験したいと思ったことは経験し、行ってみたいと思った所には行かなければならない。」、と。