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【オリンピック観戦記】パリから未来へ:オリンピックの変遷と挑戦【国力と熱意】

【オリンピック観戦記】パリから未来へ:オリンピックの変遷と挑戦【国力と熱意】

陸上競技とか見てると驚かせられるんですけど、ほとんど黒人の世界じゃないですか!まれに白人が活躍している競技もありますが、アジア人なんて、日本人以外います?そんな中、よく頑張っているなぁ、というのが私の印象。男子、女子マラソン、見ました?アフリカ系黒人選手の中にアジア人、それも日本人だけという凄い映像だったんです。

4年に一度の祭典、オリンピック終了。2週間という短い期間のためにどれだけの準備をしてきたのか?こっちの方も驚きです。経済的にもそうだし、アスリートも4年ごとに訪れる、夏の2週間のためだけに照準を合わせるわけでしょう。名誉、報酬、自己達成、などが自分が犠牲にする時間とか、お金、よりも大きくないと続かないのは当然でしょう。

これだけネットでのコンテンツ消費が大量にあふれる時代、オリンピックが全てという雰囲気も段々薄れていく気がしています。参加している国ならば、注目されるでしょうが、自国経済がまだまだ貧弱である時期に、他国の裕福な国のスポーツ祭典を見ることができてしまう現在、これからもオリンピックは開催されていくのかなぁ、という疑問も湧いてきます。

パリオリンピックの感想

もっとパリらしくお洒落な空間を作り出してくるのかなぁ、とおもっていましたが、競技会場にそれらしきものも反映されず、どことなく、予算がないのかなぁ、という貧弱な印象。パリオリンピックということを知らされていなければ、どこの国の開催、となってもおかしくない特徴のないオリンピックだった気がします。演出も貧弱だったし!

前回がコロナ禍での東京オリンピックということで、観戦者無し、というなんとも味気ないオリンピックと比較することになるので、盛り上がっているように感じますが、経済の勢い、文化的な勢いもない印象がフランスの今を表しているように感じます。4年後の2028年は、ロスアンジェルス開催で、1984年以来ということですからちょっと楽しみです。

私のオリンピック印象の歴史

私はその当時、まだ高校生で、男子マラソンの瀬古選手の印象と、陸上競技で注目されたカール・ルイス選手の印象が強烈に残っています。野球もサッカーもオリンピック競技として認められてなかった気がします。ゴルフしかり、ブレイキングダンス、しかり。時代を感じます。野球があったり、なかったりはその国のスポーツ文化の影響でしょう。

今でこそ昔ほどではないですが、政治的理由でオリンピック不参加、ボイコットということもありました。1972年、ミュンヘンオリンピック、まだドイツが分断されていて、西ドイツ開催だったとき。パレスチナゲリラにより、イスラエル選手が大会期間中襲撃、殺害されるという事件が起こりました。私は映画によってある程度の背景を知ることになります。

1976年、モントリオールオリンピック。アフリカ、アジアを含む23カ国が参加ボイコット。アパルトヘイトに関する理由で、中国も(これは台湾)不参加。女子体操のナディア・コマネチが10点満点を出したことで世界的ニュースになりました。この大会も私の中での観戦記憶はありません。情報は新聞とテレビが最大の力を持っていた時代です。

1980年、モスクワオリンピック。西側諸国がボイコットして不参加。なんと日本も不参加だったんです。ソ連に対するアフガニスタン侵攻に講義する意味での政治的意思表明。映画「ランボー3」の時代背景です。コミュニストの国々、東欧諸国の情報はほとんど一般市民には届かない時代。鉄のカーテンという意味を肌で感じた社会的時期とも言えるでしょう。

1984年、ロサンゼルスオリンピック。今度はソ連はじめ東欧諸国が報復ボイコット。アメリカはレーガン大統領の時代です。ソ連はまだゴルバチョフは出てきていません。柔道の山下選手が怪我をしながらの金メダル獲得ということが印象に残っています。オリンピックをちゃんと視聴したのは私の中ではこれが最後となりました。

1988年、ソウルオリンピック。8月に渡米したので、生活に慣れることで精一杯。オリンピックは何も視聴しないまま気がついたら終わっていました。12年ぶりに東西両陣営が参加したオリンピック。ベン・ジョンソンがドーピングにより金メダル剥奪というニュースが話題に。政治的に国内が荒れていた韓国が、やっと経済発展をし始めた時代です。

1992年、バルセロナオリンピック。学生を辞めて、レストランで働いていて忙しく視聴していません。アメリカのバスケットボールチームがドリームチームとして活躍した印象だけ。このドリームチームにはマイケル・ジョーダン、マジック・ジョンソン、ラリー・バード、パトリック・ユーイング、チャールズ・バークレーという信じられない豪華さ。

1996年、アトランタオリンピック。ロサンゼルスからニューヨークへ移ってきたので、生活環境に慣れるので大変だった時期。アトランタ近郊で爆破事件があったことと、サッカーでブラジルを破るという「マイアミの奇跡」が話題になりました。インターネットがまだ普及していないので情報は常にテレビで観戦という時代です。

2000年、シドニーオリンピック。中田英寿ら、サッカー日本代表に才能が目立って集まりつつある時代の始まり。インターネットはありましたが、ネットで視聴するほどの社会的インフラは整っていない時期。ネットニュースで女子マラソン、高橋尚子が金メダル獲得ということを知る時代。海外生活者は日本から送られてくるビデオをレンタルしてテレビ観戦。

2004年、アテネオリンピック。女子マラソン強い、野口みずき金メダル獲得。サッカー日本代表にも注目していましたが、結果が残らず敗退。ネットでの視聴、ユーチューブはありません。スマホもありません。テレビで視聴するんですが、アメリカではアメリカ人が活躍する競技しか報道しないため、柔道とかは選手が誰だとかも把握できなくなりました。

2008年、北京オリンピック。遂に中国経済が目立つようになってきた時代です。ユーチューブもスマホもありましたが、まだネットで視聴できません。まだテレビで視聴する時代、アメリカ人贔屓で、日本の選手が活躍する競技はほとんどアメリカでは見ることできません。サッカー日本代表もまったく追えませんでした。

2012年、ロンドンオリンピック。まだテレビで視聴する時代。サッカーもまったく追えず、印象に残っているのはマラソン競技ぐらい。2016年、リオデジャネイロオリンピック。ほとんどの競技を視聴していません。オリンピックに興味がなくなり始めていた時期。テレビを見るのはPGAのゴルフぐらいで、スポーツ観戦も飽き始めてきます。

2020年、東京オリンピック。まさかのコロナウィルス大流行で世界中がパニックに。1年遅れで開催という、なんともがっかりな結界に。観戦することも認められず、スタジアムはどこも無人状態での競技ということで熱狂などとは遠い世界空間。ほとんど視聴していません。観戦客がいない無人状態のスタジアムなんかなんの迫力も生み出しません。

2024年、パリオリンピック。漸く、ネットでの観戦が可能に。ユーチューブTVなるサービスができて、ほとんどのオリンピック競技は見ることができます。久しぶりに開会式をちゃんと見ました。でも日本人選手はアメリカ人がそこそこ活躍している競技に参加していると、日本人を発見することができる状態。日本人ローカルに合わせてくれれば良いのに!

結局、男子、女子サッカー、ゴルフ、マラソン、ぐらいしか見ませんでした。バレーも、卓球も、バトミントンも、体操も、水泳も、陸上も、日本人選手の名前すら知らないので、もうおうこともないだろうなぁと思います。少子高齢化ですし、日本の経済も弱まってくるということでどこまでアマチュアスポーツに打ち込める人材が出てくるのか疑問ですし。

国の経済力の物差し

国の経済力って日本に住んでいたらわからあないかもしれませんが、意外と重要で、オリンピックなんてアマチュア競技だから、国の経済的支援とか、企業のスポンサーとかないと続けるのが難しいとおもわれます。まして世界の強豪と勝ってメダル獲得ということになると、まず国が経済的にゆとりがないとできません。

水泳なんて、プールがインフラとして整っていないとできないし、道具を使う競技もお金がないと道具や、練習する場所だってお金がかかります。日本人がなぜ今までオリンピックに熱狂できたかというとそれなりに経済力を確保してきたし、国も企業にもお金があったから。でもこれからはどうなの?参加するから、視聴するという未来に変わってくるかも。

頑張る日本人の凄さ

陸上競技とか見てると驚かせられるんですけど、ほとんど黒人の世界じゃないですか!まれに白人が活躍している競技もありますが、アジア人なんて、日本人以外います?そんな中、よく頑張っているなぁ、というのが私の印象。男子、女子マラソン、見ました?アフリカ系黒人選手の中にアジア人、それも日本人だけという凄い映像だったんです。

日本人凄い!なんでそこまで頑張る。他の国にあるようなメダル獲得で得られる経済的報酬なんて微々たるもの。でも頑張る日本人。なんなんでしょう?スポーツに関しても職人気質のDNAが日本人の中に存在しているとしか言いようがありません。競技人口者が多い、というのもあるかもしれませんが、これからは違った景色を我々は目撃することでしょう。

今の子供はアマチュアスポーツを目指すでしょうか?稼げる分野、スポーツだったら野球選手としてメジャーリーグ、サッカーは欧州を目指すだろうし、テニスやゴルフは個人競技だから家庭が裕福でないと厳しいでしょう。体操や柔道、水泳、陸上とかで活躍しても経済的に豊かになれる保証はあるのか?運動神経が良かったらKPOP目指す子もいるでしょう。

陸上競技はやっぱり面白い

今、AI(人工知能)が世間的に流行っていますけど、AIが進化しても残るものは何か?といったらエンターテイメント性のある陸上競技だと思います。ロボットが100メートル5秒台で走っても感動します?人間がやるから面白い。1500、3000、5000、10000、とかの中長距離走なんてとんでもなく盛り上がります。人間って凄いって見てて思える競技。

ラスト1周をきったときのアドレナリンの出方。見ている方にも、選手等からも感じるスリリング満点の予想がつかない展開。残り200メートルを切ってからはほぼダッシュ。10000メートルなんてほんと凄ですから。30分近く走って、最後200メートルはダッシュ。このダッシュする力が残っているかどうかで勝敗が決まってしまう。迫力は半端ない!

短距離も面白い、人間って、ここまで速く走ることが出来るんだ、と驚かせられます。男子100メートルに関しては10秒切っても、メダルを取れない時代。人類はどこまで進化するのか?男子マラソンなんて、今の世界記録、あとちょっとで2時間を切ります。2時間を切るのは確実な未来で、誰が、いつ達成するのか?人間、すげぇー!

アメリカ主体のオリンピック報道

2028年、ロサンゼルスオリンピック。2032年、ブリスベンオリンピック。どこかの時点で、高くなる一方の放映権とかなくなって、ユーチューブでもなんでも良いから、ネット配信で、日本人が活躍している競技は全部見れるようになっていてほしいです。アメリカに住んでいるから、アメリカ人が活躍する競技を見せられる、というのはもう時代遅れでしょ!

世界、どこへ行ってもネット環境がもうすぐで確立される時代。コンテンツが更に大量にネット上にあふれる時代、これからはローカライズされたコンテンツに注目が集まるはずです。経済的、政治的理由から、生まれた祖国を離れて海外へ移住する人口が益々、多くなる時代。どこに住んでいようが自分の生まれ故郷の国を応援するのは当たり前でしょう。

2050年、夏のオリンピックは暑すぎて開催できない

まっこの問題は今後、大きな問題になってくるでしょう。まず経済格差が広がることによる弊害も出てきます。FIFAワールドカップも経済的に豊かな国で開催されないと、購買力のない国、経済力が弱い国で開催されると、主催者側はペイしないわけです。コパ・アメリカなんて貧しい国が多く存在している中南米よりもアメリカ開催が経済的にも良いという話。

暑さ問題は、競技施設が空調設備が整っていればいいですけど、これも経済的な問題。外で行う競技は朝早く開催とか、夜に開催とか、試行錯誤が繰り返されると思います。後は、これから経済的に潤ってくる東南アジアとか、インドとか、アフリカ諸国がどう参加してくるのか?日本のようにアマチュアスポーツ文化は育つのでしょうか?

結局、お金のかからない、陸上競技だけが生き延びるのではないでしょうか?単に走るだけですから一番、わかりやすいし、シンプルでしょ!AIに影響も受けにくいし、巨大スポンサーも必要なし。古代アテネでやってたようなシンプルな競技に回帰していく。陸上競技だけだったら、世界どこでも開催できそうじゃないですか!

国の経済力って日本に住んでいたらわからあないかもしれませんが、意外と重要で、オリンピックなんてアマチュア競技だから、国の経済的支援とか、企業のスポンサーとかないと続けるのが難しいとおもわれます。まして世界の強豪と勝ってメダル獲得ということになると、まず国が経済的にゆとりがないとできません。

ABOUT ME
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19歳で渡米、ノースカロライナ州シャーロット、カリフォルニア州ロサンジェルスを経て現在ニューヨーク在住!!ウェブライター、エッセイスト、スポーツジャーナリスト、写真家、動画編集・制作者として活動する50代オヤジ。プログラミング、動画制作、ゴルフにどハマりしてます(笑)ユーチューブ、はじめました!
Knowledge Is Power.

英語プラス@の時代。インテリジェンスな情報を英語でキャッチ。日本語に翻訳されるまで待つのはやめましょう。できるあなたへ、 Knowledge is Power. このパワーの意味するところは何であろうか? それは思うに『異なる環境へ適用する能力』だと思います。

例を挙げるなら、簡単な海外への小旅行から不確定未来のさまざまな社会への対応能力など、それ相応の知識を持っているのといないのとでは、その人の人生の過程において得るであろう結果は、まったく違ったものになります。

当たり前のことですが成人してからの個人はすべて自己責任です。育ってきた環境への不満は、成人してからの人生ではすべて自分次第でどうにでもなります。今の自分の生活環境を嘆く前に自分は努力してきただろうか、問いただしてみるといい!

小旅行の場合。英語で言う Please, Execuse Me, Thank You はなるべくその行く国々の言葉で話したほうが無難である、と言われます。その他に簡単な挨拶から10ぐらいまでの数字の言い方。その国のお金の単位や、その渡航時期の気候など、常識と思われるある程度の情報はその旅行自体を楽しんだり、その個人を守る上で必須。

新しく違う環境での生活を始めるとなった場合はどうでしょう?例えば住み慣れた日本の環境から、経験のない海外での生活となると、情報収集の意味がその行く国々についての知識の習得と言うニュアンスに変わってきます。その国の言葉から文化や生活スタイルに至るまで、勉強するべき範囲は広がるのです。

そして最後にこれから益々社会の変化のスピードが早まる中、どのような社会になっても自分を有利に導くことができるかどうかは、その人の知性に関わってきます。基礎となる知識がなくては、知性というもう一つの意味に近づくことができません。

まず何かを知ることからはじめたらどうでしょうか?無知は無恥につながるが何も知らない自分を知ることのほうが、何かを学ぼうとするためのきっかけになると思います。そのほうが知らないでずっと行ってしまうよりはまし。

自分に何が必要かを知った個人にとって、勉強という言葉は無意味に。サバイバル、といったニュアンスのほうが近いのでしょうか。自分の未来を信じることができるのならば、明日への新しい自分に出会うために今日、努力すべき。やるべきことはたくさんあります!!大前研一氏も言っています、

自分に投資する!!自分に投資して付加価値を高め、どんな状況になっても生きていけるだけのスキルを身につける。その時の必要条件は知的に怠惰でないということ。知りたいと思ったことは調べ、経験したいと思ったことは経験し、行ってみたいと思った所には行かなければならない。」、と。

想像して創造すれば君は何処へでも行ける!