【驚愕!】えんとつ町のプペル、ブロードウェイ投資家向けプレゼン公演を観に行ってきたお話【ブロードウェイ演者たちの圧倒的実力に驚いた!】
先週末金曜日、人生初のブロードウェイ、投資家向けプレゼン公演会というものに参加させていただきました。観に行ったのは「えんとつ町のプペル」、そうです、キンコン西野さんがアメリカニューヨークのブロードウェイに挑んでいる作品。
このような公演はまず一般の人は観ることできません、というかそのような仕組みが存在することすら一般の人は知らないと思います。西野さんのご好意によって、どうせならサロンメンバーさんにも、是非この機会にとのことで、希望者は参加できるようになったのです。
結論から言うと、あぁ観に行ってよかったなぁ、と言うか圧倒的な演者たちのオーラーに驚き、不覚にも3回も泣いてしまいました(恥ずかしい、50代おっさんです)。ストーリーもどのように展開するのか知っていたし、西野さんのサロン記事で、どんな具合に公演会の準備が進んでいるかなどの進捗情報もタイムリーに入っていたので、私の感想としては、”よくここまで持ってきたなぁ”という、素直に凄い、というか、”よくぞここまで仕上げてきたなぁ”、という驚きでした。
サロンメンバーさんなら知っているブロードウェイ村における数々の嫌がらせ、というかまぁジューイッシュコミュニティーなら当たり前かな、という出来事にも負けず、という話をサロン記事で知らされていたので、ただ単に、その出来具合に感動してしまいました。
あのブロードウェイ演者、実力者勢揃いの演者たちをよく集めたなぁという驚きもあります。それぐらい演者さんたちのプロフェッショナルに圧倒されました。本場、ニューヨークブロードウェイで活躍するプロの演技は半端じゃないです。
セリフを謳うミュージカルは苦手でした!
ちょっと私の話をさせていただくと、ミュージカルそのものがまず苦手で、映画派なんです。もうセリフを謳うな、という感じで映画にあるようにリアリティーを感じることができないという理由でミュージカルは全く興味を持つことができない対象だったんです。
過去、演劇というものをニューヨークで3回観ましたが、どれも楽しめませんでした。最初に観た「美女と野獣」、内容も知っていたし、ダンスも歌も凄い上手で良かったんですけど、3階席で鑑賞したせいで、おもいっきり楽しめなかったという結果。
ということで2回目に観た作品、「レミゼラブル」では奮発して1階席を確保。日本から来た友達を一日中観光案内した後のミュージカル鑑賞。会場に来て、座った瞬間、二人とも寝落ち、丸2時間近く深い眠りの中、100ドル以上支払った高級休憩所と化していました。
で、3回目。女優さんのアン・ハサウェイが好きで彼女が一人舞台をイーストビレッジで行うということで誘われ、行ったんですけど、目を開きながら寝落ち、全く何も覚えていないという有様。アン・ハサウェイはやっぱり可愛いという印象だけ残りました!
ですから今回のプレゼン公演でも寝落ちしないようにしないと、ということが心配だったんですけど、結果は3回も泣くという始末。何度も言いますが、本場のプロ、ニューヨークブロードウェイのプロの演者さんたちの実力に圧倒されました。
セリフから歌に入るタイミング、舞台で一気に入る役作り、台本も持ちながらの演技ということでしたけど、全てが綺麗にシンクロしていて、ストーリーの流れに違和感が発生しません。演者たちの集中力がホントすごいんです。
子役の男の子は子供だからと侮るなかれ
一番驚いたのが子役の男の子。子供だからと侮るなかれ、よくぞまぁこんな才能がある子役を見つけてきたなぁ、という感想と、その子の圧倒的実力にビックリです。セリフを台本見ながら言うんですけど、きちんと表情が作られていて、リハーサル感など無し。
歌といい、舞台での立ち回りも、他の大人の演者たちに全く引けをとっていませんでした。ホント、この子の演技を観に行くだけでも価値があると思います。それほど凄い才能を持った子役です!ネットでググると去年はオペラデビュー、過去には映画にも出演していて、あぁやっぱり実力者だったんだぁと納得です!
ブロードウェイ公演を勝ち取れるか!
これ、本番で本気のブロードウェイ公演だったらどんなんだろう、というギャップ感。だって演者は皆んな衣装なんて着ていないし、舞台だってなんのセットもなし、演者は台本を持っての舞台立ち回り、舞台から捌けることもなく、椅子に座って待機、照明だって限られた仕掛けしかない中での、あの素晴らしいエネルギーに浸れたことはラッキー以外の何者でもないです。この制限下の中での圧倒的迫力感ですから、是非ともブロードウェイでの本物を体験したい。ここから更にどうなるのか楽しみでしかないです!
それだけの仕上がり感、ありますから私が保証します。寝落ちせず、3回も泣いてしまった私がいうのですから間違い無いです。で、今更なんですけど、映画と違ってミュージカルはエンターテイメントショーだと、歌って踊れて、演技もできるエンターテイナーが一流のショーを披露する舞台だと、いうことを発見しました。
ショーを観に行くんです、ライブショーを観に行くんです。現場に行って、演者からのエネルギー、圧倒的オーラーを体験する場所なんです。本物を体験しましょう!後で考えたんですけど、なんであんなにも感動したのか、わかりました。
演者の実力、演技力が私にリアリティーを感じさせたのだと。私が感じるリアリティー、アメリカ生活、日常生活の中で垣間見る、あっ絶対このシーン(人物、日常の一コマ)あるよねぇ、という現実味とでも言いましょうか、伝わるかなぁ・・・ 私はあの日のあの舞台で、映画の中で感じることができるリアリティーを、「えんとつ町のプペル」投資家向けプレゼン公演会でも感じることができたからだと思います。
英語プラス@の時代。インテリジェンスな情報を英語でキャッチ。日本語に翻訳されるまで待つのはやめましょう。できるあなたへ、 Knowledge is Power. このパワーの意味するところは何であろうか? それは思うに『異なる環境へ適用する能力』だと思います。
例を挙げるなら、簡単な海外への小旅行から不確定未来のさまざまな社会への対応能力など、それ相応の知識を持っているのといないのとでは、その人の人生の過程において得るであろう結果は、まったく違ったものになります。
当たり前のことですが成人してからの個人はすべて自己責任です。育ってきた環境への不満は、成人してからの人生ではすべて自分次第でどうにでもなります。今の自分の生活環境を嘆く前に自分は努力してきただろうか、問いただしてみるといい!
小旅行の場合。英語で言う Please, Execuse Me, Thank You はなるべくその行く国々の言葉で話したほうが無難である、と言われます。その他に簡単な挨拶から10ぐらいまでの数字の言い方。その国のお金の単位や、その渡航時期の気候など、常識と思われるある程度の情報はその旅行自体を楽しんだり、その個人を守る上で必須。
新しく違う環境での生活を始めるとなった場合はどうでしょう?例えば住み慣れた日本の環境から、経験のない海外での生活となると、情報収集の意味がその行く国々についての知識の習得と言うニュアンスに変わってきます。その国の言葉から文化や生活スタイルに至るまで、勉強するべき範囲は広がるのです。
そして最後にこれから益々社会の変化のスピードが早まる中、どのような社会になっても自分を有利に導くことができるかどうかは、その人の知性に関わってきます。基礎となる知識がなくては、知性というもう一つの意味に近づくことができません。
まず何かを知ることからはじめたらどうでしょうか?無知は無恥につながるが何も知らない自分を知ることのほうが、何かを学ぼうとするためのきっかけになると思います。そのほうが知らないでずっと行ってしまうよりはまし。
自分に何が必要かを知った個人にとって、勉強という言葉は無意味に。サバイバル、といったニュアンスのほうが近いのでしょうか。自分の未来を信じることができるのならば、明日への新しい自分に出会うために今日、努力すべき。やるべきことはたくさんあります!!大前研一氏も言っています、
「自分に投資する!!自分に投資して付加価値を高め、どんな状況になっても生きていけるだけのスキルを身につける。その時の必要条件は知的に怠惰でないということ。知りたいと思ったことは調べ、経験したいと思ったことは経験し、行ってみたいと思った所には行かなければならない。」、と。